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⑴ アルチンゲール
教室に入ってきた鈴木先生は、教室の後ろの黒板の落書きを見て目を丸くした。教室中が先生の視線を追って、ふり返って、昼休みに書いた落書きが消されずに残っているのに気がついた。ある者はキョトンッとし、ある者はにやりっと笑い、ある者は顔を赤くした。
やばいっ!
ぼくは肩をすくめた。ぼくは、落書きを描いたこともすっかり忘れていた。
「山本く~ん!」
先生は、すぐさまぼくにロックオン。
それは、丸が二つに、だ円で描いた単純なちんちんの絵だった。
それを描いたのがぼくだって、どうして先生はわかったんだろう? そんなことをするのはどうせぼくだって思ってるのかな。
先生は、ほっぺたをふくらませて、怒った顔をしてぼくの前に立った。
「消してください!」
ぼくは「へへへっ」と、舌べらを出して、いそいそと立ち上がり、落書きを消しに行った。
「大輔~」、「山本くん、へんた~い」教室中から、ひやかしの声があがる。
べつにいやがっているわけじゃない。みんな面白がってるんだ。だけど、一番後ろの席に座った高橋さんは別。高橋さんは、ぼくをきたないものを見るみたいな目でにらみつけていた。そもそもぼくがこの落書きを描いたのも、高橋さんをからかうためだった。
今日は雨で昼休みだというのに外に遊びにも行けない。ぼくは、直樹といっしょにしょうぎを指していた。ぼくは学校のクラブ活動で〝いご・しょうぎクラブ〟っていう地味なクラブに入っている。クラブ決めをするときにじゃんけんで負けたんだ。第一希望は、バスケットボールだったんだけど。
クラブでは、みんないごを打つのも、しょうぎを指すのもはじめてって子ばっかりで、家でおじいちゃんとしょうぎの指しているぼくは、クラブ内トーナメントで優勝したこともある。しょうぎをしているなんて言えない程度だけど。まあ、しょうぎはきらいじゃない。
だけど、直樹はぜんぜんしょうぎのルールを知らない。今日みたいに雨の日の昼休みに、何回か教えてあげたことがあるけど、そのたびに忘れた。いつもは外でサッカーしてるからね。
「だ~か~ら~」
ぼくは、でたらめに駒を動かす直樹の手を止めて言う。
「桂馬が動けるのは、ココと、ココと」
ぼくはマスを指さしながら、説明する。直樹は「うへ~」と根をあげた。
「もう、わから~ん!」
そう言って、盤の駒をぐちゃぐちゃにして「しょうぎくずしにしよ~」と言う。ぼくも、直樹相手にしょうぎをしてもおもしろくないから、しょうぎくずしでかまわない。ぼくはうう~んと体を伸ばした。そのとき、静かに本を読んでいる高橋さんが目に入った。高橋さんは一人で読書にぼっとうしていた。まわりのさわがしさなんて少しも気にならないみたいだった。
高橋さんは、雨じゃなくても教室で本を読んでいるような子だ。休み時間、高橋さんが本を読まずにクラスメイトと話しているところを、ぼくは思い出せない。いつも一人で本を読んでいて、人をよせつけない。教室なんかよりもはるかに広く、楽しい世界が高橋さんの読んでいる本の中には広がっているんだろう。
(どんな本を読んでいるんだろう?)
ぼくは、高橋さんが読んでいる本のタイトルを盗み見た。
『みんなの伝記シリーズ⑾ ナイチンゲール』
ナイチンゲール!
「高橋さんが、ナイチンゲールなんて読んでるよ~」
ぼくは、教室中に響くような大きな声を出して言った。
高橋さんはページから顔をはなして、めいわくそうにぼくを見た。
「ちんちんがナイチンゲール~!」
ぼくがそう言って高橋さんをからかうと、直樹が「ぶほっ!」と吹き出した。「ナイチンゲールだって~!」
ぼくは、高橋さんがはずかしがるのを想像していた。だけど、高橋さんははずかしがるそぶりも見せず「ふんっ!」と鼻を鳴らして、席を立った。
「山本くん、ほんっっっっと、ガキなんだから」
そう言って、高橋さんは本を持って教室を出て行ってしまった。
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