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「おかえりなさい、お父さん。話したいことがあります。リビングにきてください」
「…とうとう、殺されるのか」
僕の手元を見た父はそう呟き、素直にリビングに向かう。
父の顔には疲れが見えた。
それは仕事の疲れではなく、怯えるのに疲れ、半ば諦めに近い表情だった。
「この一ヶ月間、ずっとお前が気味悪かった。毎朝俺を起こし、ご飯を作り、俺が仕事から帰ったら必ず出迎えるお前が怖かった。殺す機会でも伺っていたのか。飯に毒でも盛っていたのか。俺はお前に刺し殺されるのか」
生気のない声で問いかけてくる。
「今日、貴方が家に帰ってこなければ死なずに済んだ。なんで帰ってきたんです?優秀な自分が操り人形なんかの僕から逃げるなんてプライドが許しませんでしたか?」
図星なのだろう。黙り込む父を見つめ、僕は言葉を続ける。
「ご飯にはなにも盛っていません。ただ、貴方のために作っただけです。毎朝起こしたのも、毎晩貴方を出迎えたのも、全て善意です。何故すぐに殺さず一ヶ月の期間を設けたか分かりますか?僕は貴方を殺す準備をすると共に、貴方にチャンスを与えたんですよ」
「…どういう意味だ」
「貴方がこの一ヶ月の間で、一度でも僕にお礼を言えば殺すのは辞めるつもりでした。まぁ貴方が僕なんかに感謝するとは思えませんでしたが、さすがに殺害予告をされた状況なら、少しは媚びを売りにくるかと思ったんです」
包丁を握る手に力が入る。
「僕はね、本当はずっと、貴方に褒められたかった。よく頑張ったな、ありがとうって。それだけで良かった」
「か、感謝されるのは俺の方だろうっ。ここまで育ててやったんだ!S大に入れたのだって俺のおかげだ!」
「S大に入りたかったのは貴方でしょう。貴方の望みを叶えてあげたのは僕でしょう。最後の最後まで、そのくだらないプライドを捨てられないんですね。もういいです。さようなら、お父さん」
包丁を握りしめ、勢いよく父にぶつかる。
肉を割く感触がした。
「うっ…」
呻き声と共に僕はその場に倒れ込む。
僕の腹部には包丁が突き刺さり、血で赤く染まっている。
「な、なんで…」
「ゔぐあっ」
力を振り絞り腹部に突き刺さった包丁を抜き、父に握らせる。
父のスーツは僕の返り血で赤く染まっていた。
「僕は貴方を殺すと言っただけで、貴方自身を殺すとは一度も、言っていません。僕が、本当に殺したかったのは、貴方の、二度目の人生を歩まされている、僕。そして、貴方の、社会的抹殺」
「は…?なに、言って…」
「僕は、生まれた時から、貴方の人形として生きてきた。いわば、貴方の分身だ。僕を使って、自分の欲求を、満た、している。だから、僕を、ずっと、殺したかった」
苦しい。意識が朦朧とする。
「でも、それだけじゃ、だめだ。僕の、一度目の人生を貴方に壊されたように、貴方の一度目の、人生も壊さないと、気が済まない…。この、この状況を見たら警察はどう、思いますかね?貴方が殺したように、見えるかも、しれませんよ」
「そ、そんなうまくいくわけない!俺はやっていない!」
「真実なんか、どうでもいいんですよ。もし、貴方に罪を着せれなくても、世間からは、息子を自殺に追いやった、父親として、見られる、でしょう。実は、この、一ヶ月間、日記をつけていた、んです。僕が、S大に受かっ、て、から、父の様子が変、だとか、あること、ないこと、書いておきまし、た。」
「…一ヶ月使って、俺を憔悴させたのは、それが狙いか」
そう。僕が死に、血まみれの包丁から父の指紋がべったりとついているのを見れば、警察は殺人の線で捜査を開始するだろう。
会社にも父の事を聞きに行くはずだ。その際に、会社の人が最近の父は憔悴していた、様子がおかしかったと証言してくれれば僕の日記は信憑性を増す。
そのために一ヶ月使って父を精神的に追い込んだ。
遠くからサイレンの音が聞こえた。父が帰ってくる少し前に通報しておいたのが到着したのだろう。
事が終わる前に到着してしまったらどうしようかと思っていたが、なんとか間に合った。
父の目を見つめ、歪んだ笑みを浮かべる。
父の顔には恐怖が張り付いていた。
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