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しかし、12歳になった時、祖父が倒れて入院することになった。
その時は言われなかったが、随分後になって祖父は末期のガンを患っていたことを知った。
私はほぼ毎日お見舞いに通った。とにかく不安で居ても立っても居られなかったのだ。多少重くても我慢して、アルバムを入れたバックを肩に掛けて通った。最初の頃は、重いバックでよく肩を凝らせていた。
毛並みの良い白猫が笑っているみたいな写真。博物館に展示された華やかな装飾のドレス。アルバムには、綺麗なだけでなく、なるべく明るい写真を入れた。
私がアルバムを開いて見せながらベッドの横に座って話すと、祖父は体調の悪さなんて感じさせずに笑顔で話を聞いてくれた。
だから、私はいつしか忘れていた。肩の痛みがなくなるにつれて、心の痛みもなくなるようだった。
いつの間にか祖父の体が細くなっていたことにも、話を聞くときにベッドに横になっていることが多くなったことにも、頭を撫でる手の力が弱くなっていたことにも、気づかないでいた。
「お祖父ちゃんが危篤だって!」
家に突然電話が掛かってきて、姉がその知らせを青い顔で叫ぶように言ったとき、私は何も言えなかった。家族がバタバタと動いている中、「きとく」という現実を理解しようと必死だった。
なにか、良くないことが起こったことは分かった。それでも、まだ12歳だった私は、危篤という言葉の意味を知らなかった。
呆然と混乱しながら車に乗り、病院の病室に入ったとき、私を襲ったのは衝撃だった。心電図の無機質な音と、家族の誰かの泣き声が遠くに聞こえた。
祖父は目を閉じ、生気の無い顔でベッドに眠っていた。
握った手にもいつもの温もりが宿っていなくて。叩き落とさなくても私の頭を撫でてくれることはなくて。
ここでようやく現実を理解した私は、泣きじゃくった。ベッドに縋って、顔をぐしゃぐしゃにして、これ以上無いくらいに泣きじゃくった。
そうして間もなく、祖父は息を引き取った。
祖父に最後に見せた写真は、元気一杯に咲くひまわりの花だった。
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