神の恩寵と赤い眼

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「街外れの建物に決して入ってはいけないよ」 なんて、童話のはしりのような言葉。グラーティアは髪を掻き上げるとその心配の台詞を一笑に伏した。 「分かってるわ。そんな事よりも聞いた?最近は街から娘達が消えてるって噂」 「あー……あれか。警邏も強化されてるようだが、未だに翌朝に家人が娘の部屋を見に行くと忽然と姿を消してるみたいだ」 「そうそう。犯人の事は街じゃもっぱら『青髭』と呼ばれてるって話よ、本当に馬鹿馬鹿しい事ね」 なおも気遣わしげな視線を寄越してくる青年に、グラーティアはそっと口元を緩ませる。街の人気者である彼はどうにも懐に入れた者には情に厚い傾向にあるらしい、親しい者に危険が及ぶようなら躊躇いなく剣を抜く肝の座った男だ。その胆力と「黙っていれば」端麗な顔立ちに言い寄ってくる少女は後を絶たない。 青年──ラミアは僅かに言い淀んだ後に、意を決した様子でグラーティアに問い掛けた。 「……なあ、グラーティア。お前の友達も居なくなったんだろ?僕はお前が心配なんだよ。次はお前の番なんじゃないかと思うと、」 「……そうね。彼女の姿も見なくなって久しいわ」 「じゃあ、なるべく危ない橋を渡るような真似はやめてくれ!俺の友達もほとんどが姿を消してしまった、もう誰かを失うのは耐えられないんだよ!」 ……腹の底から絞り出すような、悲痛な叫び。お人好しを地で行く彼のことだ、見知った人間が次々と正体不明のものによって消えていくのが余程耐え難いんだろう。──気持ちは分からなくもない。何故なら小さな頃に消息を経ったグラーティアの昔の友人は、後日、 「……」 ──だが。 「大丈夫よ」 グラーティアはそれを一言で捻じ伏せた。 ──── 「もう嫌、どれだけここに居たら良いの……?」 「大丈夫、大丈夫だから……」 「神様、どうか、どうか私達を助けて……!」 ──身を寄せ合い震える少女達。数は十、十五。齢は二十を迎える少し手前くらいだろうか。固く瞑った目の端にはうっすらと涙が滲んでいた。長い拘束に心が疲弊してしまっているのか、気を失うように眠っている者も居る。 無限の絶望だけが広がる常闇。暗く、昏い部屋の中。 時間が悠久にも、刹那にも思えた── ──その時。 ガァン! 「っ、!?」 ……凄まじい音を立てて格子窓が蹴り破られた。 窓から飛び込んできた人影は、砕けたガラスを靴の底で踏み割りながら少女達を一瞥した後に口元を歪める。カシャ、パキ、パリッ。恐怖が支配した沈黙に似つかわしくない、涼やかな破壊の音がこだまする。 「……あーあー、こんっな所に隠してたとはなぁ。流石の俺も予想外だったわ」 満月を背にして肩を竦めてみせる人影に、冷たい声が被せられた。声の主は少女達の前まで歩み寄ると静かに闖入者を見詰める。 「あんたの牙が届く前に彼女達をここに隠せて良かった、残念だけど私の眷属になったこの子達の血を吸える事は無いわ。街の人気者には上手く擬態出来ていたけど、狩りの時の品の無さは相変わらずね。さっさと帰るのを勧めておくわ、──ラミア」 声の主──グラーティアは、ラミアに向けて逆手に握ったナイフを翳してみせた。対してラミアは昼間の好青年然とした温和な表情を潜め、煌々と輝く両の赤目を弓なりに細める。獲物を前にした猛禽類のような、血肉に飢えた眼だ。 「名前から神の加護を賜っている奴はやることが違うな、グラーティア(恩寵)。俺が街に来てから次々と女を隠されたのは想定外だったが、お前の心配をしてたのだって本当だったんだぜ?見知らぬ男に攫われやしないかってなぁ」 「街に居る女のストックが減るからでしょう?浅ましい事この上ないわね、ラミア(吸血鬼)。」 睨み合う二人を身を寄せ合ったまま見詰める少女達の眼には、疑問と怯えの中に僅かばかりの希望が宿っていた。 「……まあ神の恩寵を賜った奴の血なんて飲めねーし、次の街に行くしかねえか。この街の女は皆可愛かったんだけどなぁ、勿体ねえ真似をしたわ」 「どこへ逃げようとも私はお前を追い掛けるわよ」 窓を破壊して早々に立ち去ろうとするその背に、強い睨みと共に言葉を投げ付ける。……そう、可哀想な思いをする少女達は一人でも減らさないとならない。その為なら私は、あの男の胸に銀の杭を突き立てるのも厭わない。 そう決意を新たにした、瞬間。 「──それは"自分みたいな悲しい思いをする女を減らす為"か?なぁ、グラーティア。自分の次に出る犠牲者を減らすのは実に真面目で結構な事だが、そんな事をしても『お前の友達は還って来ねえぞ』」 「──っ!!」 ざわ、と憎悪に鳥肌が立つ。 この男はどこまでも、私の神経を逆撫でする。 奥歯が砕けそうな程に歯噛みすると、グラーティアは唸るような声で低く呟いた。 「──忘れるな。何度出逢い、別れ、生まれ変わっても、お前は私が殺し続ける」 「やれるものならやりゃいいさ、両腕を広げて待っててやるよ!」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!