第一話 青い春の話(敷島と加賀)

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第一話 青い春の話(敷島と加賀)

 敷島は目を覚ました。  ここが研究所の仮眠室のベッドだと認識するまでに数秒かかった。ではなぜ、自分は仮眠室のベッドに横になっているのか。それを思い出すのに、さらに数秒かかった。  焦点が定まらず、天井の蛍光灯がぼんやりとまぶしい。顔をしかめかけたが、その明かりをさえぎってのぞきこんでくる人影が目に入った。その人物は無表情だったが、彼が自分のことを心配してくれているのはよく知っている。敷島は彼に「大丈夫だ」と伝えたくて笑みを浮かべた。 「加賀。すまん、俺はまたスイッチングを起こしたんだな」 「大丈夫か」 「うん。お前が保護してくれたのか」 「まあな」 「このところ発作がなかったから油断したよ。克服したと思っていたのに」 「今度の治験、お前も参加してみたらどうだ」 「スイッチングの新薬か。投薬でどうにかなるものかなあ。疑わしいな」 「あらゆる可能性を探るのが研究者の役目だろう。ネコ科の当事者で研究者なんて、お前しかいないんだから」  敷島はベッドの上に身体を起こして加賀の顔を見た。彼はいつものように、白衣の下にワイシャツを着ている。ラフなTシャツばかり着ている敷島とは対照的だ。しかし几帳面な彼にしては珍しいことに、今日はネクタイを締めておらず、ワイシャツのいちばん上のボタンも外していた。 「加賀は、もしかして徹夜か」 「当直明けで帰ろうとしたら、お前が猫になる騒ぎだったからな。さっきシャワーだけ浴びた」 「そうだったのか。よけいにすまないことをしたな」  あらためて加賀の顔を眺めた。そういえば、いつもは神経質にワックスで撫でつけている黒髪が、洗いざらしのまま額にかかっている。敷島はそっと指で彼の髪に触れた。髪をかきあげたついでに指先で頬の輪郭をたどる。加賀は目を伏せたが、そんな親しげなふるまいを拒むことはなかった。敷島が「すまない」とあらためて謝罪の言葉を口にすると、加賀は口元にだけわずかな笑みを浮かべた。 「お前は悪くない。すぐそばでビーカーを落として割った奴の不注意だ」 「俺みたいに大きな音がトリガーというのも困りものなんだよ。回避が難しい。最近はだいぶ自分でコントロールできるようになったと思ったんだが」 「でも、猫になって飛び出していったお前を見つけるのは簡単だった。これのおかげでトレースできたよ」  加賀は敷島の左耳に触れた。敷島は小さな金色のピアスをつけている。加賀の言葉を聞いて嬉しくなり、弾んだ声をあげた。 「試作品が役に立ったか。これで一本、論文が書けるかな」  敷島が着けているピアスは、彼が工学専門の同僚と共同で試作しているGPS装置だった。スイッチングを起こして人間から猫へいきなりトランスフォーメーションしてしまったときや、何らかのトラブルに巻き込まれた際の所在地特定の補助を目的としている。 「いいんじゃないか。『測位技術を活用した人類ネコ科の位置情報取得についての研究』とかな」 「そうそう、そういうのだ」 「そのためには一定数のサンプルが必要だ。スイッチング持ちのネコ科を集めるのに骨が折れそうだな」 「それを言うな。……やめろ、くすぐったい」  加賀がピアスを触るふりをして耳たぶをくすぐってくるので、敷島は身をよじって逃れた。加賀もそれ以上はじゃれついてこない。小さく息をついてベッドサイドから立ち上がった。 「さて、もう自宅に帰っているひまはないから、せっかくだから病院のほうに顔を出そうと思う。そのあとで少し仮眠したい」 「治験の患者か」 「そうだ」 「俺もついていっていいかな」 「構わないよ。……立てるか」 「ああ」  加賀に支えてもらって敷島はベッドを抜けた。 (つづく)
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