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光流と呼ばれた少年は、はにかんだように笑った。その言葉どおり、彼はきちんと身支度を整えていた。どうせ病棟の外には出られないのだからパジャマや部屋着で一日過ごしてもかまわないのに、きちんとアイロンのかかった襟つきのシャツと、行儀のよいスラックスに身をつつんでいる。
彼の臨床試験データは敷島も把握していた。子どものころからアレルギーや生活の昼夜逆転などに悩まされ、十歳の幼さでスイッチングを発症。それでネコ科であることが判明した。厄介なのはスイッチングを引き起こすトリガーがなかなか特定できないことと、猫から人間に戻る際の心身のダメージがきわめて大きいことだった。
「あの、加賀先生」
光流がもじもじと視線をさまよわせたのち、思い切ったように口を開く。加賀はにこやかな表情のまま、彼の顔をのぞきこんだ。
「なに?」
「俺、ずっと猫のままでいたらだめなんですか」
「……」
つかの間、加賀の笑顔が張りついたように固まった。しかしすぐに淡々と応じる。
「前にも同じ質問をしていたね。やっぱり、猫のままでいたい気持ちは変わらないのかな」
「人間と猫の間を行ったり来たりしてしまうからつらいんだ。いっそ猫のままなら、こんな思いはしなくていいのかなって」
「光流君は、獣身や猫になっている間の記憶が保てないだろう。人間と獣身、それから猫への転換をうまくコントロールできるようになれば、記憶障害や人格分断も避けられ――」
「人間の記憶も、いりません」
光流が強い調子で加賀の言葉を遮った。窓から差し込むまぶしい朝日の逆光のなかで、光流が加賀をまっすぐに見据えている。静かな表情のなかで、彼の目の光は強かった。
「どうせつらい記憶しかないんだ。こんなことなら……猫のままのほうがいい」
黙っている加賀の様子に、光流は表情をやわらげた。
「ごめんなさい。加賀先生に八つ当たりしても、しかたないよね」
「気にしなくていい」
「早く治療薬ができるといいなあ」
「……僕たち医療者が、がんばらなくてはいけないね。じゃあ、他の皆にも挨拶をして研究所に戻るよ」
「はい」
「無理しちゃだめだよ」
「わかってます」
光流は明るく笑って小さく手を振った。しかし敷島は、光流のまなざしのなかに、寂しさや、あきらめ、疲れの色がはっきりと浮かんでいるのに気づいてしまう。スイッチングのつらさは敷島も身にしみている。特効薬も治療法もない。幼いころからたびたびスイッチングの発作にみまわれている光流の心の内が、敷島には手に取るようにわかるのだった。
(つづく)
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