第二話 たもとを分かつ

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第二話 たもとを分かつ

 研究所での時間はあっという間にすぎていく。  桜が咲いて散り、新緑まぶしい季節になった。  敷島は業務多忙で加賀とすれ違っている。顔は見かけてもゆっくり言葉を交わす時間がとれない。ある夜遅く、帰宅前に附属病院のほうに用事があって顔を出した敷島は、地下通用口の近くで加賀の姿を見かけた。  ――あいつも仕事あがりかな。久しぶりに飲みに誘ってみるか。  敷島は嬉しくなって彼に声をかけようと足を早めた。加賀は白衣を着ていなかった。彼らしく几帳面なジャケット姿で、鞄を提げているから帰宅途中だろうと見当をつける。しかし、加賀に同伴者がいるのに気づいて足を止めた。  彼は男と一緒に歩いている。背の高い大陸風の風貌を持つ男だった。敷島はなぜか胸が騒いでとっさに身を隠した。  ――あの男は。  その男には見覚えがあった。大陸の大手ベンチャーキャピタルの社長だ。最近、進行中の研究プロジェクトに大規模な出資をしてくれることが決まって話題になっていた。たびたびこの研究所を訪れているらしい彼は、波打つ豊かな金髪と碧眼が印象的で、長身で大柄なのもあいまって記憶に残っていた。  敷島の胸にふと小さな疑念が浮かぶ。  ――加賀のような一介の若手研究員が、あんな大物とサシで何をしているのか。  あの社長がこの理学研究所を訪問するときはいつも大勢の取り巻きに囲まれ、所長をはじめとする上層部が手厚くエスコートしていたはずだ。加賀は優秀な研究員だが、敷島と同じくこの研究所に入ってまだ数年しか経っていない。そんな若手研究員が上司も交えず、こんな夜中に、地下通用口で大物出資者と何をしているのか。  彼らは地下駐車場に向かって歩いていく。敷島はひそかに彼らの後を追った。  社長はいかにも大陸の富裕層といったたたずまいだ。夏物のリネンジャケットとスラックスに開襟シャツ、素足にオペラシューズ。ハイブランドの大きなペットキャリーを提げていた。派手なロゴのついた、オレンジ色のレザーバッグの側面にはメッシュ素材が張られている。さらに敷島の胸に疑念が広がっていく。  ――あのペットキャリーに入っているのは、何だろう。  彼らは地下駐車場に出ていった。敷島が物陰から見ていると、外国産の高級車がすべりこんできた。助手席から社長の部下とおぼしき男性が降りてきて、後部座席のドアを開ける。オーナーが派手なら車も派手なスポーツタイプのSUVだ。部下がペットキャリーを預かろうとしたが、社長はそれを退ける。大切そうにキャリーを抱えたまま車に乗り込んだ。車はすぐに発進する。去り際に社長が軽く手を上げて加賀に挨拶した。それを見送る加賀の横顔は硬かった。敷島の疑念がさらに膨らむ。  ――あのキャリーに入っていたのは、ネコ科の誰か、ということはないだろうか。  加賀がこちらに向かって歩いてくる。見つかるかと思ったが、結局、彼は敷島に気づくことなく、早足で病院の奥へ消えていった。消灯時間を過ぎて、非常灯だけが灯る薄暗い廊下を歩いていく加賀は、険しく思いつめたような顔をしていた。  ――追いかけたほうがいいだろうか。  しかし敷島の足は動かなかった。あれほど厳しい表情をした加賀を見たのは初めてのことだったから。 (つづく)
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