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翌日、いつも詰めている研究室で、敷島は加賀の姿を見かけた。他の研究員と打ち合わせをしている。それが終わるタイミングを見計らって声をかけた。
「加賀、ちょっと話がしたい」
加賀はちらっと敷島の顔を見ただけで目を伏せてしまった。顔は青白く、疲れの色が濃い。
「……すまない。忙しいんだ」
「すぐに済む」
「あとにしてくれ」
そこで折り悪く、今度は敷島が上司から声をかけられてしまった。加賀との会話は切り上げるしかない。加賀もすぐに身体をひるがえして立ち去ってしまった。
そんなふうにぎこちなくすれ違うことを数日のあいだに繰り返し、ようやく敷島は、加賀から避けられているのだと確信した。廊下や研究室で顔を合わせるとあからさまに目をそらされる。もちろん、言葉を交わすこともない。プロジェクトで一緒に行動することもあるのに、事務的な必要最低限のやりとりに終始した。
ついに敷島は苛立ちを抑えきれなくなった。
「おい、加賀。いい加減にしろよ」
とうとう敷島は、廊下で見かけた加賀の腕をつかんで怒りをあらわにした。その場にいた他の研究員たちが驚いて二人を見る。加賀は渋面をつくって静かな声で抗議する。
「……やめろ、敷島。みんな驚いている」
「じゃあ、ちょっとつきあえよ」
「急いでいるんだ。このあと重要なミーティングがある」
「すぐに済む。来い」
「放せよ」
敷島は加賀の言葉に耳を貸さなかった。周囲の目にも構わず、空いていた会議室に彼を引きずり込んだ。ドアが閉まれば完全な静寂だった。廊下の同僚たちも追ってはこない。みんな忙しいのだ。照明もつけず、窓のブラインドも降りた薄暗い室内で、敷島は加賀を問い詰めた。
「加賀、聞きたいことがあるんだ。俺の思い過ごしなら、それでいい」
「……なんだよ」
「少し前、病院で出資者と会っていただろう。サシで」
「……」
「あの社長、ペットキャリーを持っていた」
加賀は静かに敷島を見返した。いつもと変わらない鋭い目つきだったが、しかしこれまで見たことのない、底の知れない暗い色がにじんでいる。さらには口元に冷ややかな笑みまで浮かべている。別人を見ているようだ、と敷島は思った。
「俺たちの取引を盗み見るとは、敷島も案外、趣味が悪いな」
「気になって病院で聞いてみたんだ。光流君、退院したんだってな」
「そうだ」
「まだ治験の途中じゃなかったのか。それに、彼には身よりがないと言っていただろう――」
「彼の希望なんだ。治験をやめる権利は、いつだって患者にある。……痛いな、放せよ」
そこで敷島は、自分がまだ加賀の腕を強くつかんでいたことに気づく。手を離すと加賀は敷島に背を向けた。背を向けられた、そこに示される強い拒絶の意思に、敷島は少なからず衝撃を受ける。しかしここで引き下がってはいけない。彼が何かよからぬことをたくらんでいるのなら止めねばならない。気持ちを奮い立たせて加賀に問う。
「単刀直入に聞くから、イエスかノーで答えろ」
「俺に指示するのか。気に入らないな」
「あのペットキャリーに入っていたのは、猫の姿になった光流君か」
「……」
「答えろよ」
敷島は声を荒らげた。しかし加賀は黙って背中を向けたまま、答えない。
「加賀――」
「では敷島、君に聞くが」
強い口調で言い返されて敷島はハッと黙った。加賀は背中を向けたままだった。しかし全身に強い怒りがにじんでいるのがわかった。
「ネコ科の幸せとは、いったい何だ」
「……えっ」
「人間、獣身、猫、そのうちいずれかを選んで生きていくのも自由であるべきではないのか。もちろん多くのネコ科は人間主体であることを望む。しかしいっぽうで、猫の姿でいたいという願いを、俺たちが否定していいのか」
言いながら加賀は振り返り、まっすぐに敷島を見つめる。目の縁がかすかに赤い。加賀の顔に浮かんでいたのは、怒りだけではなかった。苛立ち、諦め、疲れ。さまざまな感情がかわるがわる現れては消えていく。
(つづく)
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