第二話 たもとを分かつ

3/4
前へ
/160ページ
次へ
「人間であることを放棄するのも自由ではないのか。光流君は、オルトマン社長のもとに行くことを希んだ。社長も光流君を大事にすると約束している。もちろん、不随意なトランスフォーメーションへの対応策も、万全に練ったうえで引き渡したんだよ。光流君が人間に戻ってしまったとしてもまた猫に戻れるように、あちらの研究員が手を尽くしてくれることになっている。この先ずっと猫でいることを選べるのならば、大事にしてくれる飼い主のもとに行くのが何よりの幸せではないのか」 「加賀、それは何か違う気がする。光流君がほんとうにオルトマン社長のもとへ行くことを希んだのなら、養子縁組のまっとうな手続きを踏めば――」 「まっとうな手続き?」  加賀がひきつるようないやな笑い声をたてた。 「敷島、知らないとは言わせないぞ。呆れたものだよ。そんな手順を馬鹿正直に踏んでいたら時間がいくらあっても足りないじゃないか。棚上げにされたまま何年も放置されている案件がどれだけあると思う? その間、光流君はスイッチングを起こしてはむりやり人間に戻されることを繰り返して消耗するんだぞ。それに」  加賀はそこで言葉を切って、うっそりとした笑みを浮かべた。 「敷島も知っているだろう。今回の、オルトマン社長からの巨額の出資」 「おい……お前は何を言っている」 「社長が出資しなければ、あのプロジェクトは継続できなかった」  敷島は加賀を見つめたまま、すぐに言葉が出てこなかった。見慣れたはずの加賀の顔が、誰か知らない男の顔に思える。やっとの思いで声を絞り出した。 「光流君の身柄をオルトマンに売ったのか。彼を売った見返りが、あの巨額の出資なのか」 「人聞きの悪い言い方はやめてくれないかな。光流君も、オルトマン社長も、この研究プロジェクトで救われるであろう多くのネコ科の患者も、みんなハッピーなんだよ。まさに『三方よし』だ。何が悪い」 「……お前がやったことは、人身売買にも等しいことだぞ」  加賀は笑い声をあげて敷島を見た。 「違うよ。そうだなあ、里親斡旋ビジネスとでも言ってほしいな。……いや、希少動物の密輸、かな。それぐらいの違法性は自覚しているつもりだ」 「貴様……っ」  敷島は加賀の胸ぐらをつかんでねじり上げた。加賀はひるまない。間近で見るその目は不敵に光っていた。敷島は震える声を押し殺した。 「加賀。お前がやったことは、間違いだ」 「間違いかどうかを決めるのは、少なくともお前じゃない」 「部長はこのことを知っているのか。まさか組織ぐるみではないだろうな」 「それはお前には関係ない話だよ、敷島。……お前は、知らないほうがいい」 「俺は、こんなことには賛同しない。断固として反対する」 「お前の賛同なんか求めていないよ」  冷たい目で突き放すように言われて、敷島は言葉を失った。加賀は敷島の腕を乱暴に引きはがし、白衣の襟の乱れを正す。そして会議室の出口に向かった。敷島の脇をすり抜けるとき、小さな声で加賀が呟いた。 「俺は俺で、信じる道を行く。お前も自分のやりたいようにやればいい」  敷島はそれに反応できず立ち尽くした。やがて背後で、会議室のドアがしずかに閉まる音がした。
/160ページ

最初のコメントを投稿しよう!

210人が本棚に入れています
本棚に追加