第二話 たもとを分かつ

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 その数日後、加賀は突然、理学研究所を退職してしまった。全職一斉送信の人事通知メールに、数人の退職者とともに加賀邦臣の名前が記されていた。敷島の身の回りにも動揺が広がったが、それもつかの間のことだった。研究所の日々は忙しい。現場を去った者のその後についていつまでも詮索している暇はない。    表向きは何も変わらぬ日々が続いていく。敷島はひとりになった。業務の合い間をぬって光流の行方を調べたり、オルトマン社長の出資の実態について不正の証拠がないかとかぎまわってみたが、すべては徒労に終わった。  うつろな気持ちをかかえた敷島を置き去りにするように季節は過ぎて、いまは夏の盛りだ。  敷島はふと思い立ち、研究所の売店で紙煙草とライターを購入した。この理学研究所に配属されたときに禁煙をしたから、煙草を手に取るのは数年ぶりだった。その足でぶらぶらと屋外の喫煙スペースに向かう。晩夏の長い夕暮れだった。木陰に古ぼけた灰皿スタンドを置いただけの粗末な喫煙所は、やかましい蝉しぐれと蒸し暑さのせいで誰もいない。  敷島は灰皿のそばで煙草に火を点けた。いちばんニコチン含有量の多い銘柄を選んだから、何年ぶりかの重い刺激で脳がくらっとする。  ――おい、俺がいるところでは煙草なんか吸うなよ。俺は煙草が大嫌いなんだ。  煙草の匂いとともに過去の記憶がよみがえる。この理学研究所に赴任し、はじめて加賀と同じプロジェクトにアサインされた日。ミーティングの休憩時間に、いきなり加賀から投げつけられた言葉だった。彼の居丈高な物言いに反発する研究員も多かったが、敷島はどうしてだか、その強引な態度を小気味よく感じて彼に惹かれた。それで素直に煙草もやめた。過去に何度も禁煙に失敗していたのに、加賀のひとことで驚くほどすんなりと煙草をやめられたのが新鮮だった。 「お前がいないところでは、いくらでも吸うからな」  喫煙所に誰もいないのをいいことに、敷島は独り言を口にした。重い煙が肺をめぐる。額にじわりと汗が浮かんだ。もう夜の闇が迫りつつあるのに、真夏の蝉たちは鳴き続ける。  声はしつこく耳にまつわりついて離れないくせに、姿は見えない。  敷島は蝉の声がするほうへ顔を向けて乱暴に煙を吐き出した。  第三話「潜入捜査官」へつづく  
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