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駅近で、真咲が入学する大学からも徒歩圏内の物件。
外観は黒い鉄製の窓枠と砂色のタイル壁。外国のアパルトマンのように洗練されている。
間取りを見る限り南向きの広いベランダ付き。
家具付き、Wi-Fi完備、当然ながらバストイレ別。
外観、室内とも、築浅でありながらどこかレトロで凝ったつくりの小規模物件。
それでいて、家賃は相場よりかなり安い。
こんな優良物件がこんな時期まで残っていたとは驚きだ。ワケありか、人ならぬものが出没するのか。
――いや、そうではない。ここがネコ科専用だから、こんな破格の条件なのか。
「ここがネコ科専用だから、こんな時期でも空室があるんですか」
「まあ、そうですね。学生専用のマンションですし」
不動産屋は無表情のままうなずいている。そしてそのまま黙った。
真咲は詳しい説明が続くことを期待して前のめりになっていたので、調子が狂う。
――うん? えっと。それで、肝心の「ネコ科」については何も説明してくれないのかな?
真咲は小さく苦笑いした。そして、そんなに歳も違わないはずだと感じたので、あえてくだけた口調で尋ねてみる。こんなとき、ためらわずに相手の間合いに入っていけるのは強みだと自負している。もっとも、この命知らずな性質のせいで向こう傷が絶えないのも事実だ。
「あの、それで、さっきから話に出ているネコ科って何なんですか? 俺、自分はずっと人間だと思ってきたけど、ほんとは猫なのかな」
そこで不動産屋はようやく「ご存じではなかったんですか」とでも言うように眉を上げて真咲を見た。今度は目が合ってもフラッシュ現象は起きない。澄んだ目でじっと見つめられて、真咲は少しだけドキッとする。しかし彼はすぐにまた顔を伏せてパソコン画面を自分の方に向け、キーボードを叩きはじめた。
「いや、さすがに猫ではありません。ネコ科のヒト属、とでも言ったらいいでしょうか。こちらの物件はネコ科の研究機関が出資していて、研究への協力を条件に格安で入居できるんです。各地に同様の物件がありますが、ここは土地柄もあって学生専用です」
「研究への協力?」
「定期的な健康診断とか、医薬品の治験とか、そんな感じの」
彼はある研究所の名前を口にした。真咲でも知っている大企業の名前を冠した研究所だった。「ネコ科とは何か」を知りたかった真咲と微妙に話がかみ合わないが、辛抱づよく不動産屋の話に合わせることにする。
「……俺は、ネコ科なんですかね」
「私がみるかぎり確実に。診断書を書いてくれるクリニックもご紹介できますが、ご案内しましょうか」
「さっきの物件、あそこに入居するには診断書が必要なんですよね」
「まあ、そうですね」
真咲が生まれもった、万事においてなりゆきまかせの性質がここで顔を出す。何より、ホームレスで大学生活をスタートするわけにはいかない。ここで新居が決まらなかったら――詰む。即座にうなずいた。
「お願いします」
「それではクリニックに連絡しますのでお待ちください。私がご一緒します」
「あ、いや、別にそこまでしてもらわなくて大丈夫です。場所だけ教えてください」
「分かりにくいところにありますので。車で行きましょう」
そういいながら不動産屋の男はスマートフォンを取り出し、どこかに電話をかけ始める。単なる受付アルバイトという身分にしては妙に手際がいいことに、真咲はもう気がついていた。この狭い事務所には、彼以外の従業員の姿もない。誰に指示を仰ぐでもなく、自分の裁量で動いているように見える。
――こいつ、何者?
うながされて店の外へ出ると、すでにタクシーが停まっていた。タクシーは後部座席のドアを開けて真咲たちの乗車を待っている。真咲はもう好奇心を抑えきれない。促されて座席にすべりこんだ。
第二話「どうぶつのお医者さん」につづく
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