溺愛編

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「お待たせいたしました」 「霧崎さん」  自宅からも会社からも離れたカフェで、待ち合わせに現れた霧崎に、明里は笑顔を向けた。 「こんなところまで呼び出してしまって、すみません」 「いえ。事務所は牧野さんの会社から近いですから、来づらいでしょう」 「お気遣いありがとうございます」  向かいの席についた霧崎は、アイスコーヒーを頼んだ。それに合わせて、明里もホットのカフェオレを頼む。 「あの、まずは忘れない内に」  明里はテーブルの上に、綺麗にアイロンがけをして包んだハンカチと、小さなナッツの詰め合わせを置いた。 「先日は、大変お世話になりました。お借りしていたハンカチと、ささやかですが御礼に。甘いものはお好きかわからなかったので、お菓子じゃなくておつまみにしたんですけど……あ、アレルギーとか大丈夫ですか?」 「いえ、特には。ですが、わざわざ御礼をいただくほどのことでは」 「ご迷惑でなければ、貰ってください。その方が私の気持ちも晴れますので」 「……では、いただきます。ありがとうございます」  にこりともしない生真面目な様子に、明里は苦笑した。こんな風で弁護士としての営業は大丈夫なのだろうかと思ったが、霧崎は企業専門とのことだったから、愛想は必要ないのだろう。むしろこの威圧感が、頼もしさを演出しているのかもしれない。  頼んでいたドリンクが運ばれてきて、テーブルに並べられる。明里が店員に会釈をして正面を見ると、霧崎も同じように会釈をしていた。それを見て、明里は無意識に目を細めた。忠だったら、絶対にそんなことはしない。  自分を見る明里の視線に気づいた霧崎が、不思議そうに目を瞬かせた。それがなんだか可愛らしく思えてますます笑ってしまいそうだったが、馬鹿にしていると取られたら失礼すぎるので頬の内側を噛んで耐えた。 「課長の件、どうなりましたか?」  相談と言って呼び出したからには、まずは仕事の話をしなければなるまい。霧崎の担当でもある、今日の本題を切り出す。相手の時間を使ってもらっているのだから、無駄話で引き延ばすわけにはいかない。先に目的を済ませてしまえば、その後の無駄話に付き合うかどうかは霧崎の自由だ。嫌なら帰ってしまえる。  正社員の頃によくあった。仕事を口実に人を呼び出して、途中で帰れない状況を作り出してから、いつまでも本題に入らず話に付き合わせようとする男達。あれが心底嫌いだったので、仕事の延長線上にある人との関係は特に気を遣う。仕事以外で全く関わらないように、とまで断ち切ってしまうと交流が持てなくなってしまうが、仕事を質に取るようなやり方は吐き気がする。ああはなるまい、と思うものの、人間自分のことになれば目が曇るものだ。霧崎はその辺りはっきり口にしそうではあるが、迷惑そうな素振りがあればすぐに気づけるように、と気を張った。 「浅見課長ですが、余罪がありました」 「えっ」 「詳しいことはまだ調査中ですが、別の女性社員も、誰かが訴えたという話を聞いて告発することにしたようです。やはり女性の場合は連帯感が強いですね。一人だと泣き寝入りしがちですが、複数人まとまれば話しやすいようで」 「そう……ですか……」 「プライバシーがありますので、あなたの名は出ていません。ただ、望むなら被害者同士で情報を共有いただいても構いません」  ほっと肩の力が抜けた。せっかく勇気を出して意思表示をしたのに、意味のないことになったらどうしようかと、実は不安だった。 「あなたのおかげですよ」 「え?」 「一人だと泣き寝入りしがちだと、言ったでしょう。最初の一人が声を上げないと、誰も続けない。あの手の輩はだいたい繰り返しますから、叩けば埃が出るものなんです。けれど被害者の訴えがなければ、動きようがない。あなたがあの時勇気を出したから、他の被害者も、これから出たかもしれない被害者も救われたんです」  明里はぎゅっと拳を握りしめて俯いた。そうでないと、泣いてしまいそうだった。  自分のしたことが、誰かのためになったと。嬉しくて。  いつも家の事ばかりで、褒められることも、役に立ったと思えることもなくて。  そんな自分が、胸を張れる出来事が、一つできた。  明里の涙は喜びであったが、俯いた明里をどう取ったのか、霧崎が僅かに狼狽えた。 「すみません、救われたなどと。まだ何も解決してはいないのに」 「いえ……いいえ」 「あの時も……立場上、不確かなことは言えませんから。その時に判明している事実から、お伝えするしかなくて、あのような言い方に。今思えば、配慮に欠けていました。申し訳ありません」 「謝らないでください。霧崎さんのおかげで、私、救われたんです。本当に。だから……ありがとうございます」  深々と頭を下げた明里に、霧崎は少し口ごもって、「仕事ですから」と答えた。
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