終わり

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

終わり

 ケラススとはラテン語で『桜』の事らしい。  日本の桜が示し合わせたように同時に満開になるのは、日本に生えている桜のほとんどはソメイヨシノので、そのソメイヨシノは全て、一本の桜の木から接ぎ木されたクローンだからだ。  その後、俺たちは家元泰宏達クローンを詳しく捜査し、そこで発覚したのは、奴らはこの殺人事件において一度も打合せらしい打ち合わせをしていなかったと言う事であった。  ソメイヨシノが何の打ち合わせもなく同時に満開になるように、全員がそれぞれで同じ殺人を計画し、そして、それぞれが打ち合わせもなく各々で勝手に歯医者に向かい、殺害当日に各々が適切な行動を取り、ロボットアームを使用し酔っ払った家元泰宏を殺害、その内の誰かが遺体の奥歯を抜きに自宅へ向かい、遺体が家元泰宏か川藤明宏のどちらか分からなくした。  死んだ家元泰宏本人さえも、自分が殺されるために無意識に適切な行動をとっていた……九人で殺したと言うクローンの言葉はあながち間違いではないのかも知れないと、俺はゾッとした。  四課も俺たちの情報を元に同時に大阪の川藤明宏の焼死体の捜査を再開しようとしたが、すでに『川藤明宏は死んでいる』と処理されている上、その記録から俺たちの事件は『自殺』と断定したのだ、もはや、捜査をする事は上の連中のメンツに関わる事になる為、断念せざる得ない状態だ。  もし遺体に奥歯が残っていたら、川藤明宏が生きていると言う何か手掛かりがあれば……一度、結論が出た捜査をひっくり返すのは相当なエネルギーが要る。それをやれるだけのモチベーションのある捜査員が向こうにいるかどうかだ。  結局、俺たちも四課も、事実は目の前にあるのに、それに手に伸ばすとクローン達の作った霧に視界を惑わされる事となった。  俺たち捜査班からしたら屈辱的な状態で、家元泰宏の葬儀の日を迎えた。  これ以上は家元泰宏の遺体を保管する許可が出ず、葬儀の後に家元泰宏の遺体は火葬される事となる。 「山城さん」  葬儀会場のホテルの入り口で目つきの鋭い厳つい男に話しかけられた。 「お久しぶりです。柴崎です」 「ああ……」  俺に川藤明宏の情報を流してくれた四課の柴崎だった。その少し離れた所の四課の仲間と思わしき連中が俺に三十度のお辞儀をしてきた。  安田もそうだったが……本当に四課の奴らの貫禄には、こっちが怖気付く。どっちがヤクザなんだか見分けがつかないヤツがゴロゴロいる。 「悪かったな。せっかく情報を貰ったのに、相手が一枚上手だった」 「いえ、あそこまで追い詰めただけでも、差し上げた甲斐がありました」  社交辞令的な挨拶を済ませると、柴崎が「それで」と一際顔を近づけて来た。 「朝、大阪の方から連絡がありました……ギリギリですが来れるそうです」 「っ! 本当か?」  俺は表情に出さないようにしたが、内心ではほくそ笑んでいた。  ただ、それと同時に「もう後には引けない」と言う緊張が体に走った。  土壇場で閃いた一種の賭けな上に、家元泰宏と川藤明宏は書類上は赤の他人だ……まさか本当に許可が降りるとは思わなかった。  大阪の現場の奴らの根性が見えた気がした。コイツらなら、なんとかしてくれるかも知れないと、俺は頼もしく思った。 「それより、本当に良いんですか? そちらの名前で手続きをしてしまって」 「お前らには情報を貰ったんだ。借りはちゃんと返さないといけないだろ」 「しかし、もしも何も出なかったら……キャリア連中のメンツを潰す事になりますよ?」  柴崎の貫禄のある顔が一瞬、情で緩んだ。こんなイカつい外見の癖に内側にはまだ、あどけないな部分が残っているのに親近感を覚えた。 「安心しろ、勝算はある」  そう言って柴崎の肩をポンと叩いた。  勝算があるのは事実だったが……正直、かなり低い。  あの川藤明宏と不気味なクローンたちがこんな幼稚な作戦で崩れると言うのは、いくらなんでも希望的観測すぎるとも思った。  だが、こっちも『殺した』と自白した奴を、何の処罰もせずに日常に放り出しておくわけにはいかない。  それは建前としても、刑事のしぶとさって奴をアイツらに見せてやらねぇと気が済まない気持ちがあった。  俺は拳を強く握り、柴崎の鍛え込まれている胸板を押した。   「いいか、今日の葬儀中、家元達から一瞬たりとも目を離すな」  俺は老兵としての役割を全うする。  あとはコイツらに託す。 「心得ています。我々も山城さんを無駄死にさせる気はありません」  柴崎はペコっと三十度のお辞儀をして、離れて行った。柴崎の行く先の数名の四課の面々が再び俺に頭を下げた。  四課は川藤に面が割れてる恐れのあるヤツもいる。最小限でできる最大の人数をここに送り込んで来た様子だ。  これでハズレだったら、アイツらだって他のマル暴の奴らから針の筵にされるはずだ。それでも、所轄の刑事なんかの俺に賭けてここに来た。  最近の若い奴は正直、愚直過ぎると思う。  だが、その愚直さに、警官になりたての頃の青い気持ちを思い出す事がある。  俺は奴らに敬礼したい気持ちを抑え、会場へ上がるエレベーターへ向かった。  俺たちの『クローン殺し』の捜査は終わった。  だが、まだ全てが終わったわけではない。  だからこそ、俺はこの葬式に罠を仕掛けた。  川藤明宏をそう簡単に渡すと思うなよ、クローンども。  エレベーターを葬儀会場になっている階で降りると既に相澤が来ていた。 「大阪から『来る』って連絡あったらしい」  俺がそう言うと、相澤は少し嫌な表情をした。 「本当にやるんですか?」 「なんだ、その顔?」 「だって、これで『無』だったら山城さんと課長と署長、飛ばされますよ。定年まで閑職っすよ」 「分かってるけどよ。お前も社長室でのあいつらの顔見ただろ?」 「まぁ、正直、ムカつきましたけど」 「少しは人間社会の厳しさを教えてやらねぇとな、クローン様に」  相澤が「クローンは人間っすよ」と呆れた声で言った。  コイツなりに心配してくれてる様子だ。  と言うか、これで上手く行ったら、コイツの手柄なんだけどな。  家元泰宏の葬儀が始まった。  弔問客達が焼香をしていく間、親族席に座っている九人の家元泰宏達。祭壇に飾られた遺影と不気味なくらいに同じ髪型、同じ顔が九個揃い、弔問客に頭を下げていく。  この中に川藤明宏がいるのか、ぱっと見では全く分からない。  その時、俺のスマホがブルっと鳴った。 「安田です。下まで来ました。いつでも行けます」 「もう少し待て」  柴崎達は警備課のSPに紛れ、会場の壁際に数名づつ等間隔に立っている。  打ち合わせ通り、祭壇に近い家元の親族席の後ろに柴崎ら四課の連中の顔が集まっている。  この状態では家元泰宏は柴崎らに背を向けているから意味がない。やるのは家元泰宏のクローン達が柴崎達に顔を向ける、焼香の時だ。  弔問客の焼香が終わり、親族、そして家元泰宏のクローン九人の焼香の順番が回ってきた。  最後に九人が一斉に立ち上がり、焼香の列に並ぶ。 「準備しろ。合図で行くぞ」 「了解です」  電話の向こうからエレベーターを降りる音がした。  それと同時に俺の心臓も大きく高鳴り始めた。  チャンスは一度、これを逃したら川藤明宏は永久に捕まらなくなる。  焼香は九人の家元泰宏が横一列に並び、祭壇の家元泰宏の写真を見上げている。  自分たちで殺した人間をどんな気持ちでコイツらは見上げているんだ。 「ドア手前です」  九人のクローンが同じ仕草同じタイミングで焼香をし、手を合わせ、目を閉じた。 「今だ、行け!」  俺の合図と共に、葬儀場の後ろの扉が「キィィ」と音を立てて開き、一人の男が勢いよく会場に飛び込んで来た。 「オヤジ! 俺だ、勝司だ!」  両手に手錠をはめた状態で飛び込んで来た川藤勝司の叫んだ大声に、九人のクローンのうちのたった一人がピクリと咄嗟に振り返ったのを、俺たち警官一同は見逃さなかった。  プライベートの記憶は同期されないのが仇になった形だ。 ──我々に子供はまだいない──  相澤と話している時、クローンがそう言っていたのを思い出し、違和感を覚え、この作戦を思い付いた。  やはり、クローン達は川藤勝司の事を知らない様子だ。そして、自分を「父さん」と呼ばれた経験も一度として無い。  ただ一人、川藤明宏を除いては。  家元泰宏が川藤明宏の記憶をクローンに入れなかったように、やはり、川藤明宏もまた川藤勝司の記憶をクローンに入れていなかった。  川藤勝司の声に咄嗟に反応してしまった一人が川藤明宏で間違いない。  俺は柴崎の顔を見た。奴も俺の方を咄嗟に見たらしく「あとは任せてくれ」と力強く頷いてくれた。  川藤勝司はスグにSP達に取り押さえられ、騒然とする会場の外に摘み出された。ダメ息子の名演技だ。  化けの皮が剥がれたと気付いた川藤明宏は、一人だけ動揺をした素振りで、俺の方を睨んできた。  その川藤明宏の取り乱した反応に、周りの奴に心酔していた家元泰宏のクローンも戸惑っている様子だ。  柴崎達が今の騒動の説明をするフリをして九人のクローンに近付いた。 「この後で、少しお話しさせていただけますか?」  柴崎が川藤明宏にそう言ったのが聞こえた。  あとは四課の連中の手腕を信じるしかない。  俺のできる事は全てやった。  おわりんこ
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!