その1

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その1

 現在、地球上に生きている人間の遺伝子の祖先を辿っていくと、全ての人間が16万年前に生きていたアフリカのある女性に辿り着く。  と、相澤が、この前ケーブルテレビで見た知識を現場に向かうの車の中でまた俺に吹聴してきた。  毎度お馴染みのことで、最初は鬱陶しかったが、最近では「コイツが何日で飽きるか」を観察するのが、俺の細やかな楽しみになっている。 「その女性は『ミトコンドリア・イブ』って呼ばれてて、全ての人類の母だと称されているらしいですよ」  この話題になると急に口調が上から目線になるも、最初はイラッとしたが、今では可愛いものに思えてきた。  なんだかんだでコイツとコンビを組んで、年月を重ねてきたという事か。 「じゃあ今度、デパートで迷子になったら、その水戸の近藤さんをアナウンスで呼び出してもらうか」  俺は相澤の一夜漬けに、お決まりの悪意ある返事を返す。  相澤は「だからちゃんと聞いてくださいよ!」と怒って、いつものようにムキになって、また最初から説明を始めた。  「コイツもコリねぇなぁ」と俺はニヤニヤしてるのが相澤先生にバレない様に、窓の方を向いた。 「あぁ! また、バカにしてニヤニヤしてるぅ!」  深夜の車の通りの少ない真っ暗な国道の窓に俺の顔がクッキリと写っていた。  現場の家元泰宏の自宅マンションに入り、俺と相澤は遺体がある部屋で初動捜査をしていた奴らと合流した。 「で、その水戸黄門さんが死んだのは自殺なのか、他殺なのか?」 「また馬鹿にしてるでしょ! ミトコンドリア・イブですよ」  書斎のワークチェアの上でグッタリとなっている被害者の家元泰宏も、コイツを殺した犯人も、元を辿れば16万年前のミトコンドリア・イブさんの可愛い子孫のはずだ。  なのになぜ人類は今になっても分かり合えず、殺し合うのか? そして同じ子孫の俺たちはなぜそれを捜査して犯人に罰を与えようとしているのか?  俯瞰で考えてみると、なかなか馬鹿馬鹿しい事を人類はしているなと思う。 「殺し、ですかね?」 「なら、犯人は水戸黄門さんの子孫で決まりだな」  家元泰宏の遺体は、書斎のワークチェアで、VR用のヘッドギアをつけたままグッタリとしていた。  部屋に入って、家元の遺体を見た瞬間、俺も相澤と同じく、家元泰宏は何者かに殺されたんだろうと思った。  しかし、遺体の前のデスクトップPCの傍には人の腕の形をした遠隔操作可能のロボットアームが置かれていた。  最近では離れた人間と密接なスキンシップを取るために、アームを自宅に置いているヤツも多い。握手などの感触も実物に近く、自宅にいても会議などの肌感がより伝わるのだとか。  そして、オフィスチェアでグッタリしている家元泰宏の腕にはそのロボットアームを遠隔操作で操るグローブが付けられていた。 「自殺、の可能性もありますか?」 「あやふやな推理を口に出すな! それをこれから調べるんだろ」  俺は相澤の背中を叩いた。内心では俺も相澤と同じ思考回路で同じ結論に至っていた。  部屋に入った時から、ほのかなアルコール臭が鼻をついていた。そして遺体の腕につけられたロボットアーム用のグローブとVRゴーグル……導き出される結論は一つだ。 「自傷ドラッグでしょうかね?」 「かもな」  『自傷ドラッグ』と言うのは、ロボットアームが市販されるようになってから、若い奴らの間で流行り出したトリップ方法の一つだ。  酒なんかで酩酊状態になり、VRゴーグルとゴーグルでロボットアームを操作し、自分の顔をぶん殴るのだ。  すると自分が誰かを殴る動作を行ったハズなのに、自分の顔に拳が飛んでくる事で、脳の認識がバグり、それによってトリップ状態になれるらしい。  若い奴らの間で流行り出し、やり過ぎると死に至る場合をある。  警察でも警告を出しているが、別に違法なドラッグなどをしているわけではない上に、ロボットアームを使ったリモートコミュニケーションは最近では当たり前になっている為、これと言って止める術がない状態だ。  鑑識のオッちゃんによると、家元の顔に殴られたようなアザはないが、少し腫れている。首元には締められた跡があり、絞殺が死因でほぼ間違いないそうだ。 「自称ドラッグには、自分の首を絞めて快感を得るタイプもあるからな」 「行為の最中に意識が飛んで、そのままアームで締め続けて死んだって感じでしょうか?」  自傷ドラッグには殴るタイプとアームで自分の首を絞める二種類がある。元々、窒息で快楽を得る遊びは昔からあったが、ロボットアームが普及した事でより簡単になった。  110番で機動捜査隊が家元の自宅に到着した時、玄関から窓まで全て鍵が掛かっており、外部から侵入した形跡は無かったそうだ。  状況からすると、自傷ドラッグのミスで自殺の線が有力かも知れない。 「家元泰宏って言えば、ケラススの社長ですよ。そんな人が自傷ドラッグなんてやってたんですか?」 「ネットの炎上とかの犯人は五十代の会社役員とかが多いらしいぞ。人間、社会人の皮を剥いだら、何が出てくるのかなんて分かんねぇよ」  と言っても、まだ誰かが遠隔操作で家元の部屋のロボットアームを操作して殺したとも考えられる。  ロボットアームを操作していたアカウントの確認をしないとなんとも言えないが…… 「ん?」  俺は、魚のように開いていた家元の遺体の口を見て、違和感を覚え、遺体の口を無理やり広げ、家元の口の中を覗いた。 「ちょっと山城さん、乱暴しないでくださいよ」 「右の奥歯が、ねぇな」  その声に静止させに来た相澤も「え?」と、一緒になって家元の口の中を覗いた。  死後、心臓が停止し、血流が止まった後に抜かれたらしく、出血はほとんど無いが、誰かが奥歯を抜いたのか? 「犯人が抜いたんでしょうか?」 「歯なんか持って行ってどうするつもりだ?」 「それをこれから調べるんですよ」  相澤が俺の背中をポンと叩いてきた。  この野郎……最近、本当に緊張感が抜けて、俺にも減らず口を叩くようになってきた。  そうしている間にロボットアームを操作していたアカウントが割り出された。 「ロボットアームには家元泰宏のDNAアカウントでログインされていました」  初動捜査を担当していた警官が言った。 「つまり、家元本人が操作していたって事だな?」 「なら、自傷ドラッグで決まりですかね」  俺と相澤は、気が抜けた表情で顔を見合わせた。  歯が無くなっているのは良く分からないが自殺でほぼ決まりだ。  大会社の社長が死んだのはデカいニュースだが、事件としてはこれ以上は何もなさそうだ。 「いえ、それが……」  が、鑑識はバツが悪そうな顔で部屋にやって来た。 「どうかしたのか?」 「実は……家元泰宏は『接ぎ木』を行っています。その為、家元と同じDNAを持った複数のクローンが存在してます」 「なにぃ……」  鑑識の言葉に俺と相澤は、今度は苦い表情で顔を見合わせた。 「クローンは何人だ?」 「被害者の会社に尋ねた情報ですと本人を含めて十名。つまり、クローンは九体存在しています」 「その九体もログインできた、と言うことですか?」 「クローンですからDNAは同じですので、可能です」 「どのクローンがログインしていたのかは、分からないんですか?」  相澤が尋ねると、鑑識は渋い表情で返してきた。 「何処の場所からログインしたのかは特定可能ですけど……いかんせん同じ遺伝子を持った人間ですから『どのクローンがログインをして殺したのか』までは分かりません」  俺は面倒な事になりそうだと、思わず舌打ちしてしまった。 「つまり、離れた場所からクローンが、遺体の首を絞めて殺した可能性もあると言う事ですか?」 「それよりも、この事件が『クローン殺人』になる恐れが出てきたって事だよ」  俺が言うと鑑識のオッちゃんが頷いた。  自殺だと思っていた簡単な事件が『クローン殺人』と言う、下手したら一番面倒な形になる可能性が出てきたのだ。 「クローン殺人の場合、仮にクローンが被害者を殺害していても『殺人』ではなく『自殺』として処理されます」
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