02

1/1
14人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

02

男は(ほお)をふくらませている理后(りこう)に謝りながら、俺のほうへ頭を下げた。 それから顔を上げて、申し訳なさそうな表情をしながらもニッコリと微笑んで見せる。 「昌鹿(まさしか)お兄ちゃん。いつまでも謝ってないで座ってよぉ。他のお客さんがいるのに恥ずかしいって。たかが数分遅れたくらいで彼は怒ったりしないから」 この白いワイシャツが似合うさわやかな好青年は明暗(あけくら)昌鹿。 十人いたら八人は同意するだろう綺麗な顔をしている男だ。 シャープな顔立ちに少し愛嬌があるところは、さすが兄妹というべきか、理后に似ている。 昌鹿は妹に言われて座ると、俺も彼に気にしなくていいと伝えた。 遅れたとはいっても謝るほどではない。 それでも頭を下げるのは、この男の人柄か。 見た目通りの感じのよさが見て取れる。 「えーと、初めまして。僕は理后の兄の昌鹿です。あなたのことは妹からはよく聞いてますよ」 昌鹿がそのさわやかな笑みで挨拶をして来たので、俺も当然、笑顔を返す。 簡単に自己紹介をし終え、飲み物と料理を出してもらうことに。 店選びを任された俺は、今回はコースにしておいた。 ひじきナムル、いぶりがっこポテトサラダ、無花果と焼き茄子の胡麻酢和え、霧島豚朧蒸し、旬のお造り、国産穴子と蕎麦の実のリゾット、海老と帆立の道明寺蒸し 蟹菊花あん、金目鯛と青茄子の丹波焼き、牡蠣とトリュフの土鍋ご飯など、この店で一番豪華なものを選択。 俺自身はこういったいかにも手の込んだ和食は好きではないが、これまでの経験から女の家族は味よりもこういう料理が出てくるほうが雰囲気がよくなる傾向がある。 一応酒が好きな可能性もあるので飲み放題にしておいたが、昌鹿は車で来ていたのでアルコールは頼まなかった。 そうなると、必然的に俺も飲めなくなる。 理后は気にしなくても良いというが、そうはいかないのが家族を紹介された男の態度だ。 適当に話していると、まずはウーロン茶が運ばれ、次に料理がテーブルに置かれていく。 ここは俺が昔から使っている小料理屋で、料金はチェーン店とそう変わらずに贅沢な気分にしてくれる素晴らしい店だ。 料理の待ち時間がほとんどないのもいい。 俺が女の家族と会う時に一番面倒だと思うのは、料理が来るまでの間の手持ち無沙汰な時間である。 それは相手は緊張しているし、こちらが話しても大体返事に困るような感じだからだ。 何か食べながらのほうが商談が成立しやすいというのは真実だ。 俺は今まで食事をしながら苛立っていた女の家族を知らない。 まあ、そこは俺のコミュニケーション能力の賜物(たまもの)でもあるが。 「へー、二人はマッチングアプリで知り合ったんですか。今時だなぁ。理后はそんなこと一言も教えてもくれなかったですよ」 「だって前にSNSで知り合った人と会ってきたって言ったら、お兄ちゃん怒ったじゃん。」 「そりゃお前がベロベロになって、いきなり深夜に迎えに来いとか電話してきたからだろ」 想像通り理后と昌鹿の仲はよかった。 話で聞いた通りだ。 文句を言い合いながらも互いを気にかけている。 絵に描いたような兄妹が、そこにはいた。 他にもいろいろ話をしてわかったことは、昌鹿が川崎市内で自動車整備会社をやっていることだった。 とても見た目からは油まみれになって車をいじっている姿が想像できなかったが。 なんでも両親が亡くなった時に昌鹿は中学校を卒業するタイミングだったようで、中卒で雇ってもらえたところが整備の仕事だけだったようだ。 彼が働いていたとき、理后は施設から学校に通っていたらしい。 兄として妹に大学まで出てほしかったらしく、昌鹿は必死で金を稼ぎ、小さいながら自分の会社を持つまでになった。 それもたかが四、五年でだ。 俺はいまいち整備の仕事が儲かるのかわからなかったが、余程苦労したのだろう。 こうして昌鹿が二十歳になった時に、施設から理后を出して二人は暮らし始めた。 一方で理后もそんな兄に頼ってばかりではいけないと、高校卒業後に一人暮らしを始め、昼は大学に通いながら夜は水商売で生活費を手に入れていた。 なんとも泣ける兄妹話だが、俺には関係ない。 話していてわかる。 こいつらは他人から酷い目に遭わされたことがない。 そうでもなければそれだけの不幸な目に遭っていて、これだけ人の良さが(にじ)み出る人間にはなりえっこないからだ。 「これからも理后のことをよろしくお願いします。あいつは人が良いというか、ちょっと抜けているところがあるので」 食事中、理后がトイレに行った時に、昌鹿から頭を下げられた。 俺は三十歳で金融関係の仕事をしていると伝えていたのもあって、業種は違えど先輩社会人として、そして恋人として妹をこれからも支えてやってほしいと頼まれた。 初めての顔合わせで、ここまで言ってくる人間は初めてだった。 それほど俺の印象が良かったのか。 それとも妹にようやくまともな彼氏ができたと思ったのか。 ともかく昌鹿から見た俺は善良な人間に映ったようだ。 だが残念なことに、お前が頭を下げている男は悪人だ。 理后は水商売で働いているからといって、ブランド物で身を固める女ではない。 俺と同じく豪華な暮らしをすることに興味がない人間なので、かなりの貯金があることはすでに調べている。 悪いがそいつは俺がいただく。 お兄ちゃんには悪いが、俺が消えた後にせいぜいあいつを(なぐ)めてやってくれ。 小料理屋の料金は当然、俺の(おご)りで会計を済ませ、店を出た。 次に会う時は昌鹿が店を選び、彼がごちそうすると言っていた。 そんな人の良い兄にお礼を言い、俺は次などないと心の中で笑った。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!