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きっと大丈夫!
1か月経った大会当日、プールではすでに多くの選手たちがウォーミングアップをはじめていた。精三は一番端っこのコースからゆっくりプールへ入水し、壁を蹴りだしていく。
「きっと大丈夫だよ」
武がそう穏やかに言う一方で、ゆったり、ゆったりと進んでいくクロールを目の前にして洋子は変わらず不安そうな面持ちをしていた。
「精三さんのご家族の方ですか?」
男性が洋子に声をかけた。ぽっちゃりとしている50歳ぐらいの男性で、目元がとろんとしていてどこか愛嬌がある。
「はい」
「はじめまして。精三さんと一緒のマスターズチームで活動している辰野といいます。一応、コーチをしています」
「そうなんですか」
「精三さん、若い人たちに交じって本当によく頑張ってらっしゃって、ああいう歳の取り方をしたいなっていつも思っているんですよ」
辰野は遠い目をしながら精三の泳ぐ姿に目を遣る。すでに25mのラインは過ぎており、着実に、着実に向こう側の壁へと近づいている。
「でも正直、年齢が年齢なので不安があります」
「確かに不安はあるでしょうね。でもそれは精三さんが一番感じているんじゃないですかね?精三さん、練習では絶対に無理しませんから。1か月前の練習でも、メイン練習の50mのクロール20本のメニューで12本目終わったらご自身で切り上げられましたし。ご自身の身体のことはご自身が一番わかっているみたいですよ」
「それでも12本泳いだんですか…………」
洋子は目を丸くした。週に2回このメニューをこなしているのであれば、400mを泳ぎ切ることもできなくない気がした。
「精三さんは体力も、判断力もしっかりした方です。今回の4個メも無謀ではなく、完泳できる自信があるから出られたんじゃないですかね?それに仮に無理だったとしても、無理だと思った時点でちゃんと途中棄権できる方ですよ。だからきっと大丈夫!」
「そうですか…………」
「あ、そろそろ私は役員招集の時間のようです。コーチをやって、選手をやって、役員までやってとなると大変ですよ。とにかく、いい泳ぎができるといいですね」
「辰野さんも出られるんですか?」
「はい。私は半フリ…………って言ってもわかりませんよね。50mの自由形に出ます。精三さんの4個メは私のちょうど次のレースになりますね。お互いいいレースにしましょう」
辰野は笑いながらそう言うと、招集所へと向かっていった。精三はすでに向こう側のターンを終え、平泳ぎのキックを一定のリズムで打ちながらこちら側に向かってきていた。
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