木曜日

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木曜日

 カナヤンの現代文の授業は、はっきり言って不評である。生徒への投げかけが多すぎるのだ。高校二年生の九月というのは、そろそろ本格的に受験を意識しだす頃だ。  生徒が知りたいのは正解と、どこがテストに出るのかの二つだけ。  なのにカナヤンは小さな描写に込められた想いだとか、貴方が登場人物ならどう思うかだとか、そう言った類の質問を好む。  カナヤンのこの傾向には、弦楽部員も頭を悩ませていた。彼女の指示はいつも抽象的なのだ。 「もっと音を躍らせて」 「故郷の空を思い浮かべて」 「愛する人を失った悲しみを」  とか、そういうのは高校生には少し難しい。みんなが練習後にぶつくさと「故郷の空とか知らねえし」と文句を言うなか、私は内心ウキウキしている。  ネットで現地の画像を漁ったり、気候の特徴を調べたり。雲一つない晴天か、はたまた雨が降っていただろうかと思いを巡らせる。練習終わりの夕焼けがかった空を見上げて、この気持ちを音に乗せたいと願う。    合唱コンクールで躍起になる女の子のように「みんなもっと真剣にやろうよ!」なんて強制はしない。他が興味を持たないならばそれでいい、ただ私は存外その時間が好きだった。  本日の授業でも、カナヤン節は炸裂していた。今日のテーマは「子どもと大人の境界線」だ。当てられた生徒は面倒くさそうに立ち上がって、年齢だとか、善悪の区別があるかだと答えていく。  そうして三人、四人といくと、もうネタは尽きてしまう。それ以降は「某さんと同じ意見です」と前ならえだ。カナヤンはもう終わりかと残念そうに、最後に姫野を指名した。  それまで退屈そうにしていた生徒たちが、彼女の心理を垣間見えるとあって目を覚ます。  姫野はゆっくり立ち上がると、少し首を傾げて答えた。 「私にもよく分かりません。でも…… なんでもなかった日常がキラキラとして見えて、あの日へ戻りたいと思ったのなら。それはよりも少しだけ、大人になったってことだと思うんです」  カナヤンは満足そうに「面白い意見ね」と言って、ようやっと授業を進めてくれた。私は、彼女の言葉を胸の中で繰り返す。ありきたりな言葉。でも、私には思いつきもしなかった答えに、悔しさと羨望が入り混じった。  彼女の瞳に映る世界は、どれほど美しいのだろう。どうしたら、どう生きれば、彼女と同じ土俵に立てるのだろう。  そっぽを向くように窓の外を眺めた。誰もいない校庭。姫野にはこの景色さえも違って見えるのだろうか。
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