金曜日

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 雑念を振り払うように弦を鳴らす。難しい連符も空で弾けるようになった。手に馴染んだ楽譜、鉛筆で囲んで目立たせた Solo の文字。もう練習する必要もないんだ。  何度もいろんな音源を聴いて、自分の演奏を録音して、こうじゃない、ああじゃないを繰り返して……   何が努力は無駄にならないだ。私には大学へ行ってもチェロを買う余裕なんかない。将来音楽で食べていけるような才能はない。  何度もチャンスが巡ってくる、恵まれたあんたたちと同列に語らないでほしい。  気が付くと一時間が経過していた。休憩がてらお手洗いに向かうと、先客の声が耳に飛び込む。 「ぶっちゃけさあ、どう思う。チェロのソロ」 「ああ、ね。葵も頑張ってるけどさ、折角なら本物っての聴かせたくない?」 「それ! 弦楽部なんて滅多に目立たないじゃんね。プロの娘がソロ弾くぞって言えば、うちらワンチャン注目の的じゃん」  ぐわんぐわんと視界が揺らいだ。後輩はともかく、二年生は私の味方でいてくれると思い込んでいた。  そうか、知らなかったや。私の音って偽物なんだ。  もうどうでもいい。早くこんな感情捨て去ってしまいたい。私は回れ右をして姫野たちがいる教室へ向かった。  しかし、そこに彼女はいなかった。あの艶やかなチェロケースはあるから、帰ってはいないようだ。基礎練中の西部がビクッと私を見る。 「姫野さん知らない?」 「え、あ、その…… トイレっすかね」  知らないことは知らないと言う子だ、こんな風に濁すということは、何かを隠しているということだ。問い詰める気にはなれなかったので、時間を空けてまた戻ってくることにした。  悠人に会いたい…… 予想外の相手からナイフを突きつけられ、周りが全て敵に見えた。私を優しく慰めてくれるのは悠人しかいないのだという気持ちに駆られた。  階段を上がり二年三組へ向かう。悠人が個人練の時に、決まって一人で使う場所。そこへ行けば譜面と向き合う彼が待っている。  しかし、一段上がるにつれて、あることに気が付いた。  チェロの音が聞こえる––––  階段を駆け下りる後輩たちの、興奮冷めやらぬ声がした。 「めっちゃ少女漫画だったよね!」 「ヤバい、マジで王子様とお姫様!」 「ヒメちゃん先輩なら応援しちゃ……」  踊り場で立ち尽くす私と目が合って、彼女たちは幽霊でも見るかのように縮みあがった。気まずそうな後輩を押しのけ、階段を二段飛ばしで駆け上がる。  あの日抱いた胸騒ぎが再び私を襲う。嘘だ、やめてよ。何度私を傷つけるの、どうして私を傷つけるの。  扉は、半分ほど開いていた。    
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