金曜日

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 二人きりの教室は静まり返っていたが、私の闘争心はメラメラと燃え滾っていた。  さあ、どうぞ私を貶して。惨めだと、早くソロを譲れと、チェロなんてやめてしまえと。  そうして私は勝ちを確信するんだ。そら見ろ、どれだけ綺麗に取り繕ってもお前の心はこんなに汚いって。  姫野は立ち上がってゆっくりと窓に沿って歩いた。傍にあった机を、細く長い指でなぞる。黒板の前まで行くと、張り出されていた名無しのテスト用紙を手に取った。  それは現代文のテストだった。「なぜ主人公は背中の火傷を隠したのか」という問いに、「人間見た目じゃなくて中身が大事!」とデカデカと書いてある。それはカナヤンの琴線に触れたのか、三角一点を貰っていた。 「金谷先生の授業、私とても好き」 「……」 「人間見た目じゃないって言うけれど、私はそうは思わないの。見た目は心の一番外側なんだと思わない?」 「なんの話」  喧嘩をする気満々だったので、急に説教じみたことを言いだす彼女に私は拍子抜けする。  姫野は窓の外に並んだ桜の木を見つめた。春には美しい薄桃色の花弁を咲かせるそれは、今は青々とした葉を揺らしている。 「授業でも『何々さんと同じです』って流れになったじゃない。『見た目じゃない、中身だ』って言うんなら、同じですと答えた人たちの中身は一緒ってことになる。中身が一緒なら、彼らは同一人物ってことになる」 「ならないでしょ」 「そう、実際はそうはならない。なら、何が彼らを分けるのか。それが見た目じゃないかしら。私たちは、見た目からその人の本質を少なからず推し量ろうとしているの」 「さっきから何が言いたいわけ」  姫野は私に向き直る。サラサラの髪に、陶器のような白肌が眩しい。桜色の唇が、意味深な笑みを作る。 「あなたは、私をどう推し量るの。お人形さん、完璧人間、腹黒女、今まで散々言われてきた。あなたの瞳には、私の心はどう映るの」 「どうって……」   どう見えるのか、そう聞かれているのは私の方なのに、まるで私の心を見透かされている気分だった。彼女の心が黒くあれと強く願った、それを咎められているようだった。  姫野はゆっくりと近づいて、私の手を取った。分厚くなった左手の指の皮を、そっと撫でるように触れてくる。  驚いて振り解くと、彼女と目が合う。何かを訴えるようなその瞳を、見つめ返すことができなかった。  口を閉ざした私をよそに、姫野はチェロを担ぎ、何も言わずに立ち去ってしまった。  ソロの話だとか、部内での立ち位置だとか、そういった話は結局一つもしなかった。  わざわざ二人きりになってまでこんな質問を投げかけて、彼女は何がしたかったのだろう。私が彼女をどう思おうが、痛くも痒くもないはずなのに。  酷い言葉を投げつけて、嘲り笑ってくれたらよかった。そうすれば彼女を嫌いになれたのに。  彼女の奏でる音も、サラサラな髪も、日常の隅っこに疑問を持てるところも、その全部を嫌いになれない自分がいた。  もっと違う出会い方をしていたら、私たちは友達になれたのかな。彼女の腕が折れますようにと願うことしかできない、私の人生って何なんだろう。
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