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月・水・金曜日のうち、弦楽部が音楽室を使えるのは月曜日だけ。それ以外は週五で活動している吹奏楽部が使用する。
音楽室の奥にある楽器庫からチェロを担ぐと、吹部の邪魔にならないように、そそくさと空き教室へ移動した。
吹部は毎年全国大会に出場できるほどの実力をもつが、弦楽部はコンクールに参加すらできない弱小ぶりだ。夏の定期演奏会と秋の文化祭のためだけに、私たちは練習を積んでいる。
うちの学校では、ほとんどの部活動が二年で終わりを迎える。つまり、二か月後の文化祭が高校最後の活躍の場なのだ。
それを奪われたりしたら……
「アオちゃん先輩、松ヤニ貸して~」
「ああ、ごめん。ちょっと待って」
べっこう飴のように艶やかに光る松ヤニは、弦楽器の必需品だ。これを弓に塗ることで滑り止めの役割を果たし、弦をしっかりと鳴らすことができる。消耗品である松ヤニは、部費で購入して共用で使っている。
姫野のことばかり考えていた私は、それを握りしめたまま立ち尽くしていた。
「元気ないっすね、恋煩い?」
「んなわけ。一丁前に先輩をからかって~」
「うっそ、ごめん。許してアオちゃん」
西部は茶目っ気たっぷりに両手をすりすりしてみせた。チェロの一年生である彼女は、この愛嬌で二年生からうんと可愛がられている。もちろん私もその一人だ。
いつもヘラヘラとしているが練習は真面目に打ち込んでいるし、この憎めない妹感が心地いい。それでいて一年生の間ではしっかり者のポジションなのだから、来年のパートリーダーは彼女で決まりだろう。
松ヤニを渡すと、ホームルームを終えた部員たちがバラバラと到着したところだった。西部が一早く気づき「集合して下さ~い!」と声をかけてくれる。集まった部員を前に、私は今日の予定を告げた。
「前半の一時間はパート練で、後半は四組で合奏練です。一年生は椅子と譜面台の準備をお願いします。悠人、なにか言いたいことある?」
「大丈夫だよ」
「じゃあ、みなさんよろしくお願いします。以上、解散!」
部員たちがぞろぞろと空き教室に移動して、楽器の準備を始めた。お手洗いへ行こうと廊下へ出ると、悠人とばったりぶつかりそうになる。
解散早々にチェロの練習室に顔を出すということは、目的は一つだろう。
「姫野さんのこと聞きに来たの?」
「え、いやその…… 彼女、入部するの?」
偵察部隊の話が耳に入ったのだろう。有名なチェリストの娘が転校してきたとあっては、期待してしまうのも無理はない。
「さあ、入るんじゃない? そうなったら、ソロは彼女で決まりだね」
「なに言ってんだ、今日まで頑張ってきたのに」
悠人は怒るというよりも、諭すように静かに言った。私はそれ以上問答を続ける気になれず、彼の横を通り抜けて女子トイレへと急いだ。
悠人の言葉が、慰めにしか聞こえなかった。慰めということはつまり、それが決定事項ということだ。
口ではああ言ってみせたが、私はまだその現実を受け入れる覚悟ができていなかった。
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