水曜日

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 お手洗いの個室で精神統一を試みるが、効果は全くない。俯くと床のタイルの黒ずみが目についた。汚いなぁ。  今頃、姫野は担任と話をしているのだろう。登校初日の感想だとか、困っていることはないかとか、そんなことを。それが終わればきっと彼女は弦楽部に顔を出す。  そこが、私の栄華の終着点–––– 「王子様、今日もカッコいいわぁ」 「ね、本当にアオちゃん先輩と付き合ってないのかな」 「それなぁ。てか私、この間王子と話しちゃった!」 「はあぁ⁉ 許せん、有罪!」  個室に私がいることに気づかず、ヴィオラの後輩たちがキャッキャと井戸端会議を始めてしまった。大路悠人(おおじはると)だから、王子様。部内でただ一人の男子生徒となれば、多少顔立ちが劣っても人気者になれる。  悠人はイケメンとは言わないが整った顔立ちをしている。いや、本人にお洒落という概念がないだけで、髪にワックスをつけたりすればイケメンの部類に入るだろう。彼女たちはその可能性を見抜いているのだ。  子どもの頃からヴァイオリンを習っていた悠人は、うちの部のコンサートマスターを務めている。そんなところも王子様ポイントだ。  部長の私と仲が深まるのは自然な流れであり、それ以上の関係ではない。私もそれ以上を求めていない。  自分から否定しに行くのもおかしな話なので、こういった噂は野放しにしている。  命よりも大切と言わんばかりに前髪を整えてから、後輩たちはお手洗いを後にした。静かに個室を出て手を洗うと、鏡に映った自分と目が合う。  邪魔だからとピンで押さえた前髪。顎には大きめのニキビが一つできていた。姫野はたらふくチョコレートを食べようが、ニキビ一つできない気がする。 「……馬鹿らしい」  何に向けて放った言葉なのか、自分でも分からなかった。
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