水曜日

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 そんな思惑とは裏腹に、音楽は滞りなく進んでいった。というよりも、むしろ今までにない輝きを見せた。  悠人から注意を受けたリタルダンドで、私たちはまた駆け足になりかけた。しかし、後ろから包み込むように聞こえる彼女の低音のお陰で、テンポは正しく修正された。    低音が鳴るということは、土台が安定するということだ。音楽に深みが増し、のびのびと音を奏でることができる。私たち六人分で捻り出していた音を、姫野は一人で十分にカバーした。  誰もが鳥肌を立てる。私も、いや、私が誰よりも心を震わせる。  ふと譜面から視線を上げると、悠人の口角が上がっていた。そんな風に弾く彼を、私は今まで見たことがなかった。  合奏を終えると、一年生は羨望の眼差しで姫野を見つめ、二年生はわっと彼女を取り囲んだ。 「すごい! チェロはお父さんから教わったの?」 「私感動で涙が出そうだった」 「何て呼べばいい? 葵はダブるし、ヒメでいい?」  姫野は例にもれず、愛想よく質問に答えた。後輩たちの間では早々に「ヒメちゃん先輩」と呼び名が決定していた。西部はヴィオラの一年生とイヤホンを半分こして、姫野健の動画を視聴している。  私はそそくさとチェロをケースに仕舞うと、楽器庫へ急いだ。誰もそんな私に気づかない。  あふれ出す涙を止める手立てが分からなかった。
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