水曜日

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「葵、待って」  悠人の呼びかけに振り返りもせず、私は歩き続ける。しかしチェロを担いだまま階段を駆け下りることもできず、簡単に追いつかれてしまった。落ち込んでいるとは考えても、まさか泣いているとは思わなかったのだろう。  鼻を赤くして涙を流す私の手を、悠人は優しく握って空き教室へと連れていく。 「何を考えているのか、大体想像はつくけどさ」 「うそ。絶対に分かりっこない」 「葵……」  そうだ、私の胸のうちなんて誰にも分かりっこないんだ。自分がどれだけ楽しそうな顔で弾いていたかも知らないくせに。分かったふりなんてまっぴらだ。 「私に気を遣わなくていいから。誰がどこに座って、ソロを弾くのか。決めるのは指揮者とコンマスだよ」 「葵が今日まで頑張ってきたことが嘘になるわけじゃないよ」    誰よりも私の努力を傍で見守っていてくれた悠人。そんな彼の言葉でさえ、綺麗事に思える。  どれだけ頑張っても、結局は才能のある人間が奪っていく。そういうことでしょ。  握られたままの右手が汗ばむ。涙はいつの間にか引っ込んでいた。まだ乾ききらない頬の雫を悠人がもう一方の手で拭おうとするが、私はそれを拒んだ。  少し悲しそうな顔をする彼の手を、振り解く。このまま彼に甘えてしまえば楽になれる気がした。けれど、私の胸の奥底がそれを良しとしなかった。  自分はとても惨めだと思う。  けれど、誰かに可哀想な子だと思われるのは許せなかった。
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