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2,桜愛好者たちの夜
泊り客4人は、同時に宿坊に到着した。
というのも、あらかじめ1時間に3本の列車の時刻を調べて同じ列車に乗り合わせた4人は、麓の駅まで迎えに来た森次の車で山の中の宿坊まで行ったからだ。
森次が宿坊を始めて5年目になるが、毎年来ている常連の2人は出迎えたしだれ桜の見事さが記憶を凌駕していることに驚き、初参加の2人はまっさらな感動に打たれて立ちすくんだ。
森次は客たちの様子を見て、報われたような気がした。
建物の中に入ると全員三和土で靴を脱いで畳の和室に上がり、こたつの周りに座った。
山の3月はまだまだ寒いからと森次が言うと、初めて来た女性が「エアコンとか床暖房なんてもちろんないですよね」と言って笑いを誘った。
森次はカフェコーナーに行ってコーヒーメーカーの紙フィルターにコーヒーの粉を入れ、水を本体に注いでスイッチをオンにした。
コーヒーカップとソーサーも、来客用に洒落た北欧風の物を5組用意した。
常連の男はブラックと分かっていたが、後は銘々ミルクと砂糖を好みで加えるよう頼み、全員着席したところでまずは自己紹介となった。
杉坂森次
桜守の宿坊の主人。植木職人。年齢30代前半。
永青(えいせい)
普段は会社勤めだが、永青というペンネームで、ミステリー、ホラー、幻想系の小説を書いている。 30代半ば。
豊田耕助
花農家の長男。チューリップ、蘭、ユリなどの花をビニールハウスで栽培。桜の挿し木を畑で育てて出荷している。 30代前半。
京極美世
心理カウンセラー。臨床心理士の資格を持ち、スクールカウンセラーとして働いていたが、現在はインターネットや電話で主に学生のカウンセリングをしている。 30代半ば。
大葉礼奈
雑誌ライター。 20代後半。
このうち、永青と京極美世が数回以上来ている常連で、豊田と礼奈は初顔だった。
礼奈は旅雑誌や女性誌にレポート記事を載せていて、今は季節柄桜の取材に集中しており、その一環としてこの廃寺の1本桜をターゲットにしたのだった。
好奇心旺盛でおしゃれな現代女性である礼奈と朴訥な花農家の豊田は対照的ではあるが、常連の2人と比べると明らかに雰囲気が異なっていた。
永青はどこか厭世的で、黒縁の眼鏡にあごひげをうっすら生やした根暗な感じの男だった。
その情熱は創作の延長上の桜、中でも妖しい桜に向けられ、ここのしだれ桜に取りつかれていた。
一方美世は、心理カウンセラーという仕事とは裏腹に世をはかなむような悲観的な貌を持っていて、愛の対象は桜という偏執的なところが永青と共通していた。
そして主人の森次も、桜の木が世界の中心にあるという点でこの2人と似通っていた。
イケメンで通りそうな端正な容貌だったが、しだれ桜のためにこんな山の中の廃寺跡に居を移すという時点で、ほとんど世捨て人のようだった。
美世は長身でショートヘアの男装の麗人と言った風の美人で、礼奈は今どきのチャーミングな女子だが、こと永青と森次に関しては、彼女たちへの女性としての興味を見受けられなかった。
永青などは「美女より桜」と豪語していた。
さすがに豊田は女性2人を前にして一般的な男性らしく照れていたが、それは日の光を浴びれば温まるというごく普通の反応で、それ以上ではなかった。
彼にとっても、ここへ来た目的はしだれ桜なのだから。
5人の中で最も通俗的な礼奈は、「美しいしだれ桜と男前の桜守の取り合わせ、絵になりますねー」とはしゃいでいた。
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