第5話 再生の煌めき

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第5話 再生の煌めき

 初めは彗星のように力強く輝いて、総てを貫いたその閃光は、役割を終えたとばかりに優しい光の粒となって夜空に帰っていった。  再び暗くなった礼拝堂にひとり座り込んでいたセレーネは、はたと正気を取り戻す。 「成功、した……?」  自分でそう呟き、弾かれるように顔を上げる。修繕前とは比べ物にならない力強さでそこに浮き上がる術式を見て、心から安堵した。セレーネが予想していた最後の空白を埋める単語は正解だったのだ。 「あぁ、良かったです、良かった、本当に……!天空の神々様、感謝致します……!」  これで少なくとも街は、街の罪なき人々は、そして(ステラ)は安全だと。両手を組み膝をついたセレーネの瞳からはらはらと涙が零れ落ちる。  しばらくして自然と涙も収まり立ち上がって、ようやく気がついた。魔物が、居ない。  あれ程黒く淀み重たかった空気が、今は森林の中の様に澄んでいる。 (術式を直し終わるあの時、少なくとも気配だけで十数匹は高位魔物が入口付近に居た筈ですのに……)  魔力が弱過ぎるセレーネには魔物を退ける、または浄化する程の力は無い。だからこそ教祖達は、口封じに彼女をこの廃教会へと追いやったのだから。 (術式が直った際の副産物、でしょうか?)  そうだとしたらとんだ幸運だ。そう思いつつ立ち上がる。  サラマンダーが放った火球が偶然にも鎖を焼き切ってくれたお陰で、まだ枷自体はついているものの鉄球の重りはなくなった。これならば、歩いて外まで出ることが出来そうだ。 (瘴気が消え魔物も居ない今が好機、ですよね……!)  小さく深呼吸をすれば、どこも痛まず普通に呼吸が出来た。瘴気を吸い込んでいたらば健康体で居られる筈はないので、術式の修復は思ったより短時間で終わったのだろうか。  なんにせよ、この身体なら走ることも出来よう。そう判断して、小走りに礼拝堂から飛び出す。  連れてこられた際にあれだけ溢れかえっていた魔物は、やはり一匹も見当たらなかった。  鍾乳洞の洞窟を利用したこの旧大聖堂は大きい。階層は実に十に及び、セレーネが居た礼拝堂はその最下層に位置していた。  つまり、外に出るまでが非常に長い。  どれくらい歩いたか、素足に枷が擦れ血が滲んで来た頃、漸く月明かりが見えてきた。荒く削られた石階段を上がり外に出るセレーネを迎えたのは、悠然と輝く満月だった。 (私がここに放り込まれた日は、確かまだ半月だったような……)  多少の違和を覚えはしたものの、そんなことより頬を撫でる夜風の心地よさよ。 (さて、これからどうするか考える前に、この身体を清めねばどこにも行けませんね。どのみちスピカ大聖堂へは戻れませんが。私が帰った所で、誰も喜ばないでしょうし……)  そう思うと、生きながらえてしまったことが寧ろ申し訳なく思えてくる。失意を誤魔化すように目を閉じ、深呼吸をした。  耳を澄ませれば、水のせせらぎが微かながら聞こえてくる。確か道中に旧大聖堂に水を引くのに使われていた清流があった筈だ。まずはそこで泥を落とそうと河を目指す。    いくら月明かりがあれど、明かりの一つも持たずに歩く夜の山は大変に暗い。が、水の音が近づいてくるにつれ何故か辺りが明るくなってきた。同時に、幾人かの焦ったような声が飛び交っているのも聞こえてくる。明かりの正体は彼等が灯している松明のようだった。 (いけない……!空の花嫁の装束のまま兵士様に見つかってはまた彼処に押し戻されてしまいます……!)  フードを深く被り踵を返そうとしたセレーネだったが、響いてきた声につい振り返ってしまった。木々の隙間から見える男達の隊服は、見覚えないデザインだ。 「司祭様!お気を確かに!!」   「くそっ、出血はまだ止まらないのか……!衛生兵はどうした!」 「駄目です!ミノタウルスに蹴り飛ばされた際に頭部を打ち付けたようで意識が戻りません!!」 「……っ!やはり一人は治癒術師を連れてくるべきだったのだ!!」 「今更そんな事を言っても致し方ないだろう、治癒術師は希少で唯でさえ手が足りていないのだ!それより早くしろ!大聖堂に逃げ込んでいった魔物達がまたいつ襲ってくるかわからないんだぞ!」  声の主は恐らく3人。更に会話の内容から、意識のない負傷者が2名居るようだ。そして見慣れぬ製法のその衣服からして彼等は恐らく、祖国(ミーティア)の人間ではない。 (会話から伺うに、皆様かなり重症のご様子……。このままでは、下山する前に力尽きてしまわれるかも知れません)  グッと手を握りしめ考え込んだセレーネは、装束の裾。空の花嫁の証である天体模様の刺繍部分を近くの石で全て裂き千切ってから男達の元へ駆け付けた。 「あっ、あの……!」 「何者だ!!!」  殺気立った男達が一斉にセレーネに剣を抜く。突きつけられた切っ先に一瞬怯んだが、セレーネは落ち着いた声音で彼等に語りかけた。 「私は流しの治癒術師です。河に水を汲みに来た所お困りのご様子でしたので声をかけさせて頂きました」  都合が良過ぎるその言葉に男達が顔を見合わせ、そして二人の負傷者に目を移す。幾重にも巻かれた包帯が赤く染まっており、痛々しい。 「この山は下山に少なくとも2時間はかかる。治療せずに降りればそちらの御二方は力尽きてしまうやも知れません。私は力が弱いので完治させられる保証は出来かねますが、一命を取り止められる程度の回復は出来ます。どうか信用して頂けませんか」  そう語るセレーネだが、彼女の身なりはボロボロだ。長年同期に虐げられこき使われていた為に体躯はやせ衰え弱々しく、先程まで瘴気に晒されていたせいか顔色も良くない。特徴的な刺繍を破り裂いた衣装はみすぼらしく、足枷で擦れた素足は血で汚れていた。これでは、説得力も何もあったものでは無い。  だから、己に向けられた刃の一本を使い、自身の腕を切り裂いた。  驚愕し狼狽える彼等の目の前で、セレーネが30cm程のその切り傷に己の手を翳す。 「遍く星々よ、浄化の光をお与え下さい」  暖かな光が傷口を包み、痛々しかったそこは見る間に跡形もなく元の状態に戻った。自らの身を裂き証拠を示したセレーネに、わずかながら男達が心を開く。本当は、藁にも縋りたい心境なのだろう。 「……わかった、貴女を信じよう。刃を向けて申し訳なかった。二人の容態を見てくれ」  頭を下げた彼等の言葉に頷き、怪我人の横に腰を落とすセレーネ。医師の白衣に似た隊服の方の男は比較的軽症だ、軽い脳震盪だろう。コブになっている箇所に浄化の光を当てれば、すぐに顔色が回復した。程なくして意識が戻るだろう。 (気の所為でしょうか。どうにもいつもより治癒の効きが良いように感じます……)  一瞬自身の手を見つめ思案したセレーネだったが、もう一方の男が痛みに呻いた声に気を呼び戻される。丁重に抱きかかえられたその身体を見て、血の気が引いた。  サファイアのような蒼碧の短髪の一部を細く三編みにし、繊細な作りのローブをまとった美男子だ。身なりからしてこの中で一番高貴な者だとわかったが、理由はそれではない。  右側の手の肘から下が、無い。 「魔物避けの香を大聖堂に炊き入れた際に暴れたサラマンダーに食い千切られたんだ。止血はしたが止まりきらねぇ。助かるか!?」 「…………っ!」  切羽詰まる声音に問われ、言葉に詰まる。  これ程の重症者など治した事がない。セレーネ達聖女見習いが使う“浄化”は、あくまで軽い欠損や炎症等を治す程度の力しかない。失った四肢の再生には及ばない。 「おい、どうなんだ!?」 「止めろ!治癒師様が困っているだろう!」 (浄化をかければ血は止まるかも知れない。ですが一命を取り留めたとしても、この方は片腕を失ってしまう……)  治すための呪文は、知っている。しかし、自分の力では足りないかも知れない。けれど。 (助けを求められたならば、全力で応えるのが力を与えられた者の役目ですよね……!)  力を使い果たし倒れたらばその時はそこが自分の限界だっただけだ。腹を括ったセレーネは男の右腕に手を翳し、ありったけの魔力を込めた。 「天に在す数多の星よ、再生の煌きをかの者に!!」
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