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三月一日、学年末試験。この学校を卒業できるかは今日この日に全てかかっている。赤点を取ってしまっても追試やレポート提出でどうにか卒業させる、などという救済措置はない。『追試日』と年間予定表に記されているあれは、嘘だ。
予鈴が校内に鳴り響き、その余韻と緊張感が静まった教室にとけてゆく。試験監督の嶋田は生徒たちに再度注意した。机の中には何も入れないこと。机の上に落書きはないか。スマホは電源を切ってカバンの中に。生徒自身に確認させるだけでなく嶋田自身でひとりひとりチェックをおこなった。
「お前スマホは?」
「持ってきてません」
ある男子生徒の机、筆記用具をくまなくチェックし、カバンの中を確認したところ、スマホが入っていなかったので訊ねた。
「ほらポケットにも入ってませんよ」
たしかに制服のポケットにも、どこにもスマホは見当たらなかった。しかし今日日の高校生がスマホを持ち歩かないわけがない。どこかにあるはずだ。だがこれ以上追及することもできない。嶋田は男子生徒の警戒度を上げて、次の生徒のチェックに移った。
テスト前のチェックだけで二十分。数年前までは五分でテスト用紙の配付まで終わっていたというのに。
今のところ生徒たちは不正ができる状態ではない、が本番はこれからである。
試験開始のチャイムが鳴った。テスト用紙を勢いよくめくる音が一斉に聞こえ、軽快にペンを走らせる音が……聞こえなかった。
まばらには聞こえるが、手を動かしているのはいかにも勉強のできそうな生徒からばかり。さっきの〝スマホ持っていません男子〟なんかは完全に手がとまって、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
それもそのはず、事前に知らされたテスト範囲、あれも嘘だからだ。
いや、嘘ではない。小さく注意書きで、『変更となる場合がございます』って書いてあるから。
そのことに気付いた生徒はちゃんと正しいテスト範囲を先生に訊いている。つまり今問題なく解答できているのは、警戒心の強かった生徒か、もしくはテスト範囲など関係なくもとから勉強ができる生徒だけである。
そしてもうひとつ、すでに不正が行われている可能性。嶋田は生徒の動きひとつひとつに目を光らせながら、休むことなく机間巡視をつづけた。
数年前なら、この机間巡視も一、二回するだけで、あとは教室前方の教卓席に座って、あくびを噛み殺しながら全体を眺めているだけだった。
(時代の変化か……)
教育現場とは古い体質に囚われながら、目まぐるしく変化する時代に対応することを求められる。
(結果がこの試験か……)
嶋田はため息をのみこんだ。目だけは草むらの小さな動きも見落とさない肉食動物のように光らせながら。
「すみません……」
近くの席の男子生徒が小さく手をあげた。
「腹が痛くて、トイレ行ってもいいですか?」
丸くうずくまりながら腹を押さえ、真っ青な顔には脂汗がにじんでいる。とても演技とは思えない。
「大丈夫か?」
嶋田は姿勢を低くして男子生徒の背中をさすりながら、心配するふりをしてさりげなくポケットなどにスマホを隠し持っていないか身体検査をした。
「廊下に巡回の先生がいるからトイレに連れていってもらえ」
男子生徒は小声で「すんません」と言うと、腰を曲げながら小さな歩幅で教室を出た。廊下で待機していた教員に連れられる彼を見送り、座っていた席を改めて調べた。解答用紙はほとんど白紙。しかし他に怪しい部分は見つからなかった。スマホも電源を落としてカバンの中、だ。
留年のプレッシャーでも感じて、本当に体調が悪くなっただけだろうか。疑わしくはあるが、こうして気をとられているうちに他が不正をする恐れもある。嶋田は教室内を見渡し、また机間巡視を再開した。
テスト開始から三十分、カンニングした生徒をふたり発見した。シンプルなカンニングペ―パー。上手く隠し持っていたものの使い方が下手すぎる。見ていることが動きでバレバレで、こんな何のひねりもない不正なんて小学生でもできる。さすがにこれでは合格点はあげられない。ふたりは指導室へと送られた。
今のところ悪くはなかったのは、いつの間にか教室内に数匹のスズメバチを放った生徒。始末をする間、混乱に乗じて不正をさせる隙をつくってしまった。それから火災報知器と放送機器に細工をした生徒。鳴り響くアラーム、家庭科室で火災が発生しました避難してくださいという放送、そして誤報でしたの放送、とわざわざここまでセットして、あたかも本当に起こったことかのように思わされてしまった。素直な嶋田はテストを中断して避難の準備をするように生徒に指示した。このときも不正し放題だっただろう。ここまで大掛かりなことをした生徒にボーナスポイントでもあげたい。
テスト終了まで残り半分。腹痛でトイレに籠っていた生徒が教員に連れられてようやく戻ってきた。相変わらず腹を押さえており、顔色も悪い。ゆっくりと自分の席へ戻る道中、紙切れを別の生徒にこっそり渡したのを嶋田は見逃さなかった。渡した相手は〝スマホ持っていません男子〟だった。
──なるほど。〝スマホ持っていません男子〟のスマホはトイレの個室にでも隠していたんだろう、それと紙とペンも。〝腹が痛いです男子〟が見事な演技でトイレに行き、それらを使って二人分のカンニングペーパーを作成。いま、自分の席に戻るまでにその紙を渡したというわけか。
嶋田は考えた。テスト範囲が変更されることを見抜けなかったことは残念だが、あらかじめトイレに不正アイテムを隠していた準備──もちろんテスト前のチェックはトイレにまで及んでいるが、それもくぐりぬけたということも含めて──それは評価できる。手口はまだまだ荒く、詰めの甘い部分はあるが高校生ならこんなもんだろう。嶋田は二人の不正を見逃した。
「嶋田先生、どうでした? 試験は」
「不正に関しては、まあ及第点をやろうって感じですね」
職員室で、回収した解答用紙を授業担当の宇田川先生に渡しながら、嶋田は言った。
「限られた状況の中でよく頑張ってると思いますよ」
「そうですか、あとはそもそものテストの点数がとれてるといいんですけど」
宇田川先生は力なく笑った。
相手を疑い、警戒し、騙されることない力。相手に隙をつくり、騙し、バレないように考えて不正を行う力。生きる力にそれらが必要とされ、学校の試験は大きく変わった。工夫を凝らした不正なら見逃される。いかにバレずに不正を行うかを考える力を育むためだ。いまや教師を買収して事前に試験内容を知ることも当たり前である。それも一種の努力とされるようになった。
もちろん自力で試験を突破するものもいる。だがそういう生徒も就職後は持ち前の考える力を活かしてギリギリのグレーを攻めることになる。
ここ数年で詐欺に関連した犯罪は減っているそうだが、騙されない力が育っているのか、それとも巧妙化した犯罪が表出しなくなったのか──。
「やな時代になったもんだよ」
嶋田はつぶやき、自分の席についた。オフィスチェアが錆び付いた金属音を鳴らした。
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