恐ろしきは

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恐ろしきは

 何処からかざわざわと葉擦れの音がした瞬間、"靄"の振るった鎌から紅い三日月形の光が飛び出した。雪治は咄嗟にそれらを避けたが、それが当たった場所には鋭利な物で削られたような痕がついた。あんなものが当たっていたら、と考えると雪治は血の気が引いた。  だが、恐怖に打ち勝ち眼前の妖を消し去らねばならない。それが神の望みなら。それが己の使命なら。相手の動きを警戒しながら、雪治はひとつ深呼吸をした。  息を吐ききった瞬間に踏み込み、"靄"に真っ向斬りで挑めば、両の鎌で受け止められた。溢れる靄の濃さと辺りの暗さで解らなかったが、こうして鍔迫り合いのようになると靄の中に無数の葉が見える。先ほどの葉擦れの音はこれだったようだ。纏った霊力により木刀が鎌に食い込まんとすれば、"それ"は大きく飛び退いて距離を取る。  知性のある動きだ。葉で見えなかったが目などもあるのやも知れない。雪治は正眼の構えで"それ"を睨んだ。また葉擦れの音とともに紅い光がふたつ、雪治の胸元を目掛けて飛んだ。横に避けた雪治もすぐに"それ"へと斬りかかる。  真っ向斬りから木刀を返して左胴斬り、片方の鎌で受け流されもう一方の鎌で斬り掛かられるのを今度は雪治が木刀で受け流す。両者距離を取って再び睨み合うが、"靄"が鎌を引くと先程放った紅い光が雪治の背中を目掛けて戻ってきた。雪治は気付かず"靄"へ胴斬りを狙おうとするも、ギリギリで背後の気配に気付き身を低くして避ける。  "靄"はやはり知性があるのか、その隙を見逃すことなく再度紅い光を連続で幾度も放つ。雪治は屋根の上を転がるようにして避けながら、少しずつ体勢を立て直す。紅い光が絶えず飛んでくる中、雪治も攻勢に転ずる。  低い姿勢で敵の紅い光を避けながら屋根を駆け抜け、間合いに入ると至近距離で放たれたそれを左肩に一発くらいながら木刀に纏わせる霊力を増やした左斬り上げで鎌をひとつ消滅させた。勢いで"それ"は吹っ飛ぶが、まだ消えてはいない。  雪治の肩からじわじわと滲む血が彼の着物を染めていく。アドレナリンが出ているのか雪治は痛みを感じていないが、少量ずつとはいえ出血がある以上、戦いが長引けば危ないのは雪治の方だ。  「まずいな」  まずい、筈だった。だが雪治がそう零した瞬間、信じられない現象が起きた。パックリと切れている肩が高速で回復し始めたのだ。雪治は元々自然治癒力が高く、怪我の治りは早い方だった。しかしそれはあくまでも人間の常識の範囲でのことだ。数秒で深い切り傷が治るなんて、そんな常軌を逸したものではなかった。  ひゅっ、と雪治が息を呑む。こんなのはまるで、人間じゃないみたいではないか。ふと雪治の脳内に座敷童子の「雪治は神の子」という言葉が過った。このまま自分は人ではなくなるのではないか。雪治は戦慄し、精神の影響を受けて木刀に纏わせた霊力もまばらになる。  もちろん呆然とする雪治が立ち直るのを待ってくれるような敵ではない。"靄"は動揺している雪治の首を目掛けて紅い光を飛ばす。条件反射で避けた雪治を、今度は鎌本体が襲う。  「くっ……!」  雪治は何とか霊力を纏わせ直した木刀で受け流し、袈裟斬りを狙う。"それ"は霊力を警戒してか、大きく飛び退って木刀を避ける。距離を取った"靄"と見合いながら、雪治が細く長く息を吐く。  「怯えるのも絶望するのも後でやれ。敵前で集中を切らすな。使えるものは全て使え。勝つことだけを考えろ。……刺し違えてでも勝て」  自分に言い聞かせた雪治の顔には、もう恐怖の色はなかった。それどころか戦いの最初よりも落ち着き、感覚が研ぎ澄まされていた。"靄"もそれを感じ取ったのか、雪治から更に距離を取る。  後退った"それ"目掛けて雪治が駆け出し、"靄"は突っ込んでくる彼に紅い光を飛ばす。雪治は紅い光を最低限は霊力で弾いたり避けたりするも、幾度か腕や脚を切られ着物を染めながら"靄"に突っ込み、左胴斬りからの右斬り上げでもうひとつの鎌も消し去った。  そのまま本体も斬ろうと上段で構えた雪治の耳をつんざくような不快な音がし、思わず顔をしかめて一瞬動きが止まった彼は、直後、突風により吹き飛ばされて屋根から地面へと転がり落ちてしまう。  「っ、かはッ!」  雪治は何とか地面に着く瞬間は手足を使って回転着地し、最初に屋根の縁に背中を打った衝撃で詰まっていた息を吐き出す。どうやら風は鎌を失った"靄"の最後の攻撃手段のようだ。雪治を殺そうと自身の纏う葉を刃代わりに風で飛ばし始めた。  無数の葉が刃となって飛んでくるのを全て避けられるわけがない。だが紅い光と違って葉なら薄い膜でも意味を成す。雪治は全身を霊力で覆い、襲いかかる無数の葉の刃の中を真っすぐ突っ切る。葉は全て霊力の膜に触れた傍から消滅し、間合いを詰めた雪治は"靄"を左斬り上げからの真っ向斬りで確実に仕留め、"それ"を消し去った。
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