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俺の標的はたいがい俺の同業者か、人を陥れて富を得る者、利害関係で生まれる邪魔者など犯罪者ばかりだった。
何人もの命を奪ってきたが、この少女のように無垢な相手はいなかった。
どうして、あと数か月くらい生かしてやれないんだ?
この仕事をしてきて嫌になることは何度もあったが、生きる為にしかたがないと納得していた。
しかし、今回ばかりはこの可憐な標的のために自分を犠牲にしてもいいと思えた。
今までなるべく考えないようにしていたが、生きる理由などすでに失っているからだ。
誰かを守るために死ねるなら……少しでも生きた意味が残るのではないだろうか?
ぼんやりと考えていると携帯電話が鳴った。
「はい。黒須です」
今や『椅子の聖母』と心の中で呼んでいる少女を見つめながら電話を取る。
『なぜ、早く殺してくれないの?』
電話から小鳥のような声が聞こえ、同時に聖母の口が動いた。
『何をしているの、早く私を殺してちょうだい!』
少女は、照準の向こうから真っ直ぐにこちらを見据えている。
――― 依頼主が標的。そういうことだったのか。
「……余命わずかにも関わらず、なぜ殺しの依頼を?」
いつもなら依頼主には絶対に聞かない理由をあえて問う。
それを知らなければ、俺はこの依頼を遂行できないからだ。
『嘘をついていたことは謝るわ。けれど、誰にも知られたくなかったの。特別な依頼だと目をつけられる危険を避けたかった』
「裏世界はペラペラしゃべる奴は生きていけない」
『それでも、お金を積まれれば寝返るでしょ?』
「俺は何があっても依頼は先着順だ。でなければ、信用が得られない」
『殺し屋が信用ね……』
少し呆れながら、少女は初めて笑った。
『あなたになら話してもいい気がする。私の脳は普通の人間の3倍の処理能力があるんですって。おかげで、いろいろ新薬も開発したんだけど残念ながら自分の病気を治す薬はできなかった。皮肉なものよね。他人を助けても自分は助けられないなんて』
「それで、憎い自分の脳をつぶしたいと?」
『あなたは、まだ意味がわかってない。私の体が死んでも、研究者たちは私の脳を奪い合うわ。切り刻んで成分を取り出して、誰かに注入するかもしれないし、もっと怖いのは私の脳だけを生かし続けること。丸ごと培養液につけて生かされたりしたら、死にたくなっても死ねない。分かる?』
「お前のものは、お前のものだということだな」
『ご名答』
「少し期日を延ばさないか?」
『何日も、窓際に立ってあなたを待ったわ。これ以上は……』
「お前の脳を誰にも渡さないようにすればいいんじゃないか? ならばお前の寿命ぎりぎりまでどうだろう」
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