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105.神獣フェンリルと暗黒の悪魔
「そうだな、俺はダークだ」
黒狼王子がそう呟けば、悪魔は白豚王子の声で囁く。
『――そう、君は暗黒色を持つ者――闇の力を司り死を招く者――人々から恐れられ忌み嫌われる者――利用された末に葬られる者――存在を否定され拒絶される者――いずれ、この世界を呪う暗黒闇だ――』
凄む悪魔は黒々とした闇の手で黒狼王子の身体を引き寄せると、白豚王子の姿で腕を伸ばし優しく抱きしめる。
『――ねぇ、ダーク――こんな悲しい世界は塗り替えてしまおう――君を傷付け悲しませる世界なんて要らないよ――何もかも混ぜ合わせて暗黒色で塗り潰してしまおう――そして、僕と君だけの世界にするんだ――そうしよう、ダーク――』
憐れみ慈しむ声音で囁いて、悪魔は黒狼王子の傷心を擽り誘惑する。
甘く微笑んで魅せる悪魔に、黒狼王子は金色に光る強い眼差しを向けて告げる。
「俺にとってダークは忌み名ではない、特別な名前だ。気高き神獣フェンリルの末裔であり、この紛争を終結させ、悪魔に打ち勝つ者の名前だ」
黒狼王子が望んでいるのは、偽物ではない本物の白豚王子だ。
本物の白豚王子からは同情や打算的な感情は一切感じられなかった。
あったのは、純粋な好意だけだったのだ。
今、目の前にいる悪魔とは似ても似つかない。
いくら姿形を似せて演じようと、全くの別物だ。
黒狼王子は白豚王子から向けられた真っ直ぐな好意と言葉を思い出す。
『ダークがダークだから――うん、やっぱり、好きだな。僕はダークって名前も、その暗黒色の毛色も、すごく格好良くて好きだよ。僕はダークって名前、大好き』
白豚王子が己の名を呼ぶ声を思い出せば、黒狼王子が惑わされる事はない。
(ダークはフランが好きだと言った、俺の名前だ。フランが俺に特別な意味を与えてくれた。呪われのダークが俺なのではない、俺が特別な存在のダークなのだ。だから、俺は悪魔になど狂わされない)
黒狼王子は一切の迷いなく断言する。
「俺はダークだ!」
揺らぐ事の無い固い決意を見せつけられ、悪魔は嘆息して仄暗く微笑む。
『――君がそう望むなら仕方ないね――君の身体と精神がいつまで耐えられるのか分からないけど――君が望むままに僕の力を全て注いであげる――さあ、受け取って――これが、僕の暗黒闇だよ――』
その途端、悪魔は本来の悍ましい姿を露わにし、莫大な暗黒闇と化して黒狼王子を呑み込んだ。
◆
膨大な暗黒闇の海に溺れ、荒れ狂う闇の濁流が黒狼王子の中に流れ込んでいく。
「……ぐっ……」
暗黒闇に侵食される身体は、切り裂かれ、押し潰され、焼け爛れるような、そんな激しい痛みを伴う。
痛みよりも耐え難いのが、憎悪や怨嗟、嫉妬や執念、憤怒や復讐など、呪いの感情が一気に流れ込んでくる事だった。
少しでも気を緩めれば、自我が奪われ、精神が崩壊し、発狂しかねない。そんな激しい感情が身の内を渦巻いているのだ。
絶えず襲いくる激痛と激情に黒狼王子はひたすら耐え、呻き声を漏らす。
「……う、ぐぁっ……」
時間が途方もなく長く感じられ、黒狼王子には刹那が永遠にすら思えた。
終わる事のない永久の苦痛と苦悩――それは、かつての『暗黒色を持つ者』達の記憶だった――そしてそれは、暗黒の悪魔の記憶でもあった。
◆
獣人の国を統治する誇り高き王家、その始祖は神獣フェンリルであった。
神獣フェンリルは生まれつき神獣だった訳ではなく、元は半獣半人の獣人だった。
フェンリルは二つの強大な力、創造を司る光の力と破壊を司る闇の力を持ち生まれてきた。
獣人達を守る為にフェンリルは己の力を駆使し、多種多様な獣人達を一つにまとめ導き、長い歳月を経て獣人の国を築いていった。
国を確固たるものとし獣人の未来を切り拓くべく、フェンリルは己の身魂を捧げ、国を守護する神獣フェンリルへと神化した。
神化する際、フェンリルは破壊を司る闇の力を悪しき半身として己から切り離し、地下深くへと封印した。
『――悲しい――虚しい――寂しい――』
だが、悪しき闇の半身もまた元は獣人達を守り導いてきたフェンリルであった。
光の半身と同じく闇の半身もまた、民を、国を、世界を、愛していたのだ。
愛していたが故に、切り捨てられ冷たく狭い暗闇の世界に閉じ込められた闇の半身は――狂った。
『――恨めしい――妬ましい――呪わしい――』
悪しきものとして切り離されたのは、人としての感情や欲求、心の弱さや脆さでもあったのだ。
闇の半身は呪った。
己を切り捨てた光の半身を、闇を拒絶し否定した国や民を、光に満ちた明るい外の世界を、この世の何もかも全てを呪った。
暗闇の中で呪いは膨れ上がり、闇と呪いの力を増強して、神獣フェンリルの半身は暗黒の悪魔へと化した。
『――欲しい、欲しい――何もかも全部――暗黒にしたい――』
暗黒の悪魔は封印されながらも黒狼石から呪いの瘴気を放ち続け、王族に時折生まれる闇の血統である『暗黒色を持つ者』を呼び寄せた。
厳重に封印される暗黒の悪魔は、『暗黒色を持つ者』という依代が無ければ地上に這い出る事も叶わないからだ。
『――世界が暗黒に染まれば、また一つになれる――僕を切り捨てた半身も――拒絶し否定した民も――眩しく温かい世界も――憎い、愛しい、欲しい――全部混ぜ合わせて一つにしよう――そうすればもう、寂しくない、虚しくない、悲しくない――』
悪魔に呼び寄せられた『暗黒色を持つ者』達は、必然的に暗黒の力を求めざるを得ない運命にあった。
王国を襲った伝染病を終息させる為、数多の命を絶たねばならなかった老いた賢王。
虐げられ命を狙われる妾妃だった母を守る為、己の身を犠牲にして盾になった幼子。
不治の病に罹る親友の治療の為、誇りや魂を売る事も厭わず野獣と称された剣闘士。
戦争になれば死地で命を落とす恋人の為、敵国へと嫁ぎ内部から国を滅ぼした美姫。
そして、敵対国の侵略から国や民を守る為、脅威の力で敵軍勢を壊滅させ紛争を終結させる黒狼王子。
かつての『暗黒色を持つ者』達は皆一様に、望みを叶えられ目的を果たした末に狂い、闇に落ちて暗黒の悪魔と同化した。
黒狼王子もまた『暗黒色を持つ者』である以上、その運命からは逃れられない。
悪魔の能力で黒狼王子がこれから辿るであろう未来の出来事が頭内に流し込まれ、黒狼王子は苦悩に呻く。
「……う゛ぁっ……」
予言される未来――それは、黒狼王子が各国から英雄と称賛される未来だ。
「……やめ……ろっ……」
絶対的な脅威の力で敵対国の軍勢をことごとく壊滅させ、黒狼王子は祖国だけではなく同盟国をも守り、数多くの民を救う事になる。
闇を宿し毒に命を削られながらも、黒狼王子は二年余りの歳月を経て、紛争を終結させる事に成功する。
国や民を守る為ならば、黒狼王子は己の身や命を犠牲にする事も厭わなかった。
どんな苦痛も苦悩も耐えられる、己だけが耐えればいい、そう思っていたのだ――だが、そうではなかった。
暗黒の悪魔を身に宿し、脅威の力を駆使してしまった代償は、余りに大きかったのだ。
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