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108.国王陛下と白豚王子の面会
貧民街に行く気にもなれず、僕はフラフラと離宮の自室へと戻っていた。
「……国王が……倒れた……」
半ば茫然自失な状態で呟きを零し、国王が倒れたのだと改めて実感して、僕は居ても立っても居られない気持ちになり、部屋の中をうろつき回ってしまう。
(とうとう、この時がきてしまった……ゲームでも、悪夢の記憶でも、国王は病に倒れ床に臥してしまう……そして、悪役である白豚王子の手で……そんなの、嫌だ! そんな事には絶対にならない! 僕はそんな事しないんだから!!)
悪夢の記憶が甦り、悪役の白豚王子が国王を殺害する恐ろしい場面が、僕の脳裏を過ぎる。
心を壊して泣き笑う白豚王子の声が脳内に響いて、僕は必死に悪夢の記憶を追い出そうと頭を振った。
(国王が心配で、不安で仕方ない……今すぐ駆けつけたくて堪らないのに……こんなんじゃ、会いになんて行けない。悪役の僕じゃ、怖くて会う事なんてできないよ……でも、心配で不安で仕方ない、どうしたら……)
僕が前世の記憶を思い出した日、誕生祭でバースデーアイスを食べてしまった一件以来、国王とは顔を合わせる事もなく過ごしてきた。
(ほとんど会った事もない、良い思い出なんて何一つないけど……それでも、国王は僕にとって唯一の肉親、父親なんだ……疎まれていても、嫌われていたとしても……僕は国王に生きていて欲しい……)
親子の情などかけて貰った事はないけど、それでも、僕は国王の健在を願わずにはいられなかった。
国王を案じ駆け付けたい衝動にかられても、僕にはどうする事もできなくて、只々焦燥感ばかりが募っていく。
そんな時、部屋の扉を叩くノックの音が聞こえて――
コンコン
――飛び出す勢いで僕が扉を開けると、そこには暗く沈んだ表情をするバニラ王子が立っていた。
バニラ王子は泣き腫らしたように目元を赤くして、ひどく掠れる声で告げる。
「父上が――国王陛下が病気で倒れ、床に臥してしまいました……もう、回復の見込みはなく、そう長くは持たないそうです……」
「……っ……」
予期していた事とは言え、未来が変わってきている影響で、国王の未来も変わっているかもしれないと、僅かな希望を抱いていた。
だが、そんな希望は無惨にも打ち砕かれ、悲惨な現実を突き付けられ、僕は言葉を失う。
茫然と立ち尽くす僕に、バニラ王子は更に国王からの言付けを告げる。
「それから、国王陛下がお呼びです。第一王子とお二人だけで話たい事があるそうです……」
「……え……僕と?」
一瞬、理解が追いつかず訊き返す僕に、バニラ王子はゆっくりと頷いて見せた。
僕は国王危篤の知らせを受け、正式に国王の主寝室へと呼び出されたのだ。
◆
王宮の最奥に位置する国王の主寝室。扉の前に立つ僕は息を呑んでいた。
「…………」
国王の要望からバニラ王子に同席を断られてしまい、僕は見送られて部屋の前まで来たものの、大きな扉を前にして立ち竦んでしまった。
(どうして、僕を呼び出したんだろう? 話ってなんなのかな? ……悪役の僕が国王の寝室に入ってしまって、本当に大丈夫なのかな? ……でも、やっぱり、一目だけでも会いたい。これを逃したら、二度と会えないかもしれないから……)
戸惑い躊躇いつつも僕は意を決し、扉を叩き声を張り上げる。
「国王陛下! お呼びと聞き、参りました。第一王子です……」
勇気を振り絞って僕が告げると、少し間を置いて部屋の中から声が聞こえる。
「…………入れ」
「し、失礼します」
僕はそっと扉を開けて、部屋の中へと足を踏み入れる。
上品で洗練された内装や調度品が目に留まり、悪夢で見た国王の部屋と同じに感じられ、僕は血の気が引く思いで部屋の中に入り立ち止まった。
奥にある大きなベッドの上には酷く衰弱し窶れた国王の姿があり、弱々しく横たわる国王は重たそうに瞼を上げ、僕に視線を向けて呟く。
「……近くへ……」
僕はおずおずと国王の方へ近付いていき、ベッドの脇に立つ。
近くで見れば尚の事、国王の痛々しく憔悴した姿がまざまざと感じられ、僕は胸が詰まった。
国王はおもむろに口を開き、途切れ途切れ呟くように話し始める。
「……もうすぐ、誕生祭だったな……お前も、もう18になるのか……」
「は、はい」
僕の歳を国王が把握している事が少し意外だったが、悪夢の記憶と同じく成人して直ぐに追い出すつもりでいたのだとすれば、腑に落ちてしまい、僕の胸はズキリと痛んだ。
「……バニラから、お前の話はよく聞いていた……貧民街を見事に治め、貧民や難民の世話をし、良くやっているのだと……」
バニラ王子と関わる事が増えていた影響で、国王から僕への印象も変わっていたのかもしれない。
少しは僕の頑張りも認められた気がして、それは凄く嬉しい事に思えた。
国王は虚ろな目で物思いに耽る表情をし、重たげな瞼を閉じて呟く。
「……市井では、ラズベリーと名乗っているそうだな……ラズベリーか……」
けれど、その時の僕にはもう、国王が何を話しているのか、理解できなくなっていた。
何故なら、部屋の奥にある壁から甘くて美味しそうなスイーツの匂いが強く香り、甘い匂いに僕の意識は支配されていたからだ。
(……なんて、美味しそうな匂い……甘くて美味しいスイーツの匂いだ……)
国王が話し続ける中、僕は強い匂いを放つ壁の方へとユラユラと歩いてしまう。
「……余は、もうそう長くは持たない……最後に一つ、お前に問う……」
国王の声は僕の耳には入っておらず、壁に飾られている豪華な装飾の施された――短剣を僕は手に取った。
(……美味しそう、美味しそうなスイーツ……食べたい、食べたい……)
短剣には色取り取りの美しい宝石が散りばめられ、鋭利な刀身はキラキラと眩く輝いていて、それがとてつもなく美味しそうに僕の目には映っていた。
我慢などできる筈もなく、甘く香る短剣の刀身に僕は舌を這わせて舐める。
(……ああ、美味しい、美味しすぎる……全部、食べたい、食べ尽くしたい……)
僕は全身が痺れる甘美な味わいに夢中になり、一心不乱に短剣を舐め続ける。
その間も、国王は何かを呟き続けていた――
「……お前は何を望む? ……お前が望むのならば……余の持つ全てを、お前に与える……立太子させ、次の王位に就かせる事もできる……自由を望むのならば……このまま、市井に下らせる事もできる……お前は、何を望む? ……」
――が、僕にはそんな国王の言葉を理解する事はできなかった。
短剣から味が感じられなくなり、僕はようやく意識を取り戻し始める。
(……え? 僕なんで短剣なんて舐めて……あれ、また甘い匂いがする……これは、この匂いは、国王の方からしてる? ……あ、駄目だ……また、意識が……)
しかし、意識が覚醒しきる前にまた甘い匂いを感じて、僕は短剣を握りしめたまま国王の方へとユラユラと歩いてしまう。
僕が近くまで歩いていくと、国王は閉ざしていた瞼を開き、僕を見据えて眉を顰め――
「……フラン……ボワーズ……」
――ひどく苦しそうな表情を浮かべ、僕の名前を呼んだ。
今世では初めて名前を呼ばれた筈なのに、悲しげに響くその声に、切なげに微笑むその表情に、僕は何故か覚えがある気がしてならなかった。
そう感じるのと同時に、抑えきれない衝動が湧き上がり、僕の意識はまた奪われていく。
(……ああ……美味しそう……食べたい……食べなきゃ……食べ尽くさなきゃ……)
僕は短剣を持ったままベッドへと乗り上げ、国王へと近付いて行く。
国王は逃げる事も、声を上げる事もせず、静かに横たわったまま、力なくその瞳を閉ざした。
ついに手の届く所まで、見下ろす所まで来た僕は、国王の放つ芳香を嗅いで――
ガンッ!
「……国王、陛下……」
――蒼白な国王の胸元に赤い鮮血が散る。
だらだらと血を滴らせ、僕は懸命に自分を抑えつけて叫んだ。
「……僕は、悪役なんかじゃない! 僕は、僕だ! フランボワーズだ!! ……」
国王の胸元を汚すのは、僕の鼻からだらだらと滴る血と、抑えられずに零れる唾液と、止めどなく溢れる涙だった。
血の気が無くひどく衰弱した国王は、弱々しい呼吸を繰り返すだけで、固く閉ざした瞼を開ける事はない。
叫び声を聞きつけて、部屋の扉を叩く者達の声が聞こえる。
「国王陛下? 大声が聞こえましたが、どうされました?」
「……国王陛下、失礼致します!」
返事が無い事を不審に思い、宰相とバニラ王子が部屋の扉を開け入ってくる。
「「!!?」」
血に濡れる国王と短剣を持つ僕を見て、二人は戦慄した。
「これは!? 近衛兵! 近衛兵! 直ちに白豚王子を捕らえよ!!」
「そ、そんな、まさか!? ……父上! 父上ー!!」
宰相が叫び声を上げ近衛兵が部屋へ雪崩れ込んできて、朦朧とする僕を国王から引き離し床へ押さえ付ける。
バニラ王子は意識の無い国王に駆け寄り、必死に声をかけ続けている。
大量の血を失い、僕は意識が薄れていく中で――
「王位の簒奪を狙い、白豚王子が国王陛下の殺害を謀った! 白豚王子は国家転覆を企てる反逆者だ! 直ちに白豚王子を投獄せよ!!」
――宰相の怒号が遠く響いて聞こえていた。
――白豚王子は国王暗殺を謀った大罪人として、投獄されてしまったのだ。――
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