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113.捕まえられた白豚王子
……――――極上の味わいの余韻に浸り、僕は感嘆の溜息を零した。
熱っぽく息を吐いて、うっとりしていると、急に僕の顎は掬われ、そのまま頬を掴まれた。
「はぅ…………ぶ、ひっ!?」
「やっと捕まえた」
僕が我に返ると、ギラリと光る鋭い眼光が僕を見据えていた。
獲物を狙う獣の如き眼差しで射竦められてしまえば、被食動物の心境になり反射的に竦み上がってしまう。
びくびくと怯えながら、なんと呼びかけて良いものか分からず、彼の名高い英雄の通称名を口にする。
「……黒狼王子?」
僕の呼びかけが気に障ったのか、彼は少しムッとした表情を見せた後、ニヒルな笑みを浮かべて、お返しとばかりに僕の通称名を呼ぶ。
「探したぞ。白豚王子」
また、何かやらかしてしまったのだろうかと、僕は恐る恐る彼の様子を窺う。
肉食獣を思わせる切れ長な金色の目、艶やかな黒髪と同系色の狼の耳と尻尾、異国情緒溢れる褐色の肌、野性的でいて知的でもある端正な顔立ち、屈強で強靭な体躯の美丈夫、それが黒狼王子だ。
そんな彼がどこか気怠るげに見えることに気付いて、僕の心臓はドキッと跳ねた。
「!!?」
彼の胸元は衣服が乱されてはだけ、惜し気もなくその鍛え上げられた胸板が晒されている。
滑らかな褐色の肌はしっとりと上気していて、口元から胸元の辺りが何故か濡れているような艶なめかしい色艶を放っている。
彼の濃艶な色香に当てられて、僕はくらりと眩暈を起こし、プルプルと震え慄いてしまう。
彼の呼吸に合わせて上下する胸の動きが見て分かるほどの、至極、至近距離に僕はいたのだ。
微細な動きすら分かってしまうほどの――否、むしろ触感で感じ取れてしまっていることに気付いて、僕は自分の手元に視線を向ける。
彼の開けた胸や腹に這わせるように添えられた自分の手を見て、僕は硬直した。
停止しかける思考を叱咤して、僕は彼と自分の体勢を確認する。
床に仰向けで倒れる彼の脚の上に僕は跨り乗り上げていて、上体を起こした彼に僕の頬が掴まれている状態だったのだ。
僕はまたしてもやらかしてしまったのだと確信し、スンと遠い目をしてしまう。
ああマズいぞ、これはヤバい、と脳内で小さな白豚達――もとい、本能が身の危険を訴えて騒いでいる。
「えぇーと、これはー、そのー………………ごめんなさいっ!!」
内心慌てふためきながら、僕は脱兎の如く逃走を図った――
「逃がさん」
「ぶひっ!?」
――が、瞬時にガシッと掴まれてしまい、まったく身動きが取れない。
白豚は脱兎にはなれず、容易く黒狼に捕獲されてしまった。
「うわああああ! ごめんなさい! 放して! 見逃してぇ!!」
「やっと捕まえたのに、逃がすわけがないだろう」
拘束される腕の中から抜け出そうと奮闘していて聞き逃したが、彼は恨めしげに小声で何か呟いていた。
「俺の動きを封じて、散々好き勝手しておいて……今更逃げられると思うな……」
僕がジタバタと足掻いて抵抗してみても、彼の屈強な身体はびくともしない。
彼に軽々と持ち上げられて、荷物みたいに肩に担がれ、僕はどこかに連れて行かれる。
「うえええええ! お願い! 許して! 見逃してぇ!!」
「逃げられたはずなのに、逃げなかったのはお前だ。諦めろ」
心なしか彼の声音が嬉々として感じられるのは、担がれた背中越しに見える尻尾が忙しなく振られ、楽しげに見えてしまうからだろうか。
(……え、これ喜んでる? 犬だったら嬉しくて興奮してる感じで、猫だったらイライラして怒ってる感じだよね? 狼はイヌ科だから犬と同じ反応でいいのかな? なんで狼獣人の彼がそんなに喜んで……あっ、そうか、獲物を捕獲したからだ! 美味そうな白豚を!?)
結論に思い至り、仰天する僕があたふたとしていると、彼は獣人兵の一団とすれ違いざま、御供達に指示を出していた。
「俺が呼びに行くまで、誰も部屋に近付けるな」
「「御意(はい)」」
どこかの部屋に入って行くと、目的地に到着したのか、僕は肩から振り下ろされる。
「わぁっ…………ん?」
落下の衝撃に身構えていると、予想外に柔らかい弾力が背中を包み、僕はベッドに下ろされたのだと分かった。
予想した衝撃が無かったことに安堵する――のも束の間、ベッドへ乗り上げた彼に僕は囲い込まれ、先程とは逆に僕が押し倒される体勢になる。
彼の猛獣を思わせる金色の目に、ギラギラとした鋭い眼光で見下ろされて、僕は捕らわれた獲物の心境で竦み上る。
「ひぇ! …………お、お願い! 助けて! 見逃してぇ~!!」
「もう逃がさない」
白豚が命乞いをしても、黒狼には聞き入れてもらえないようだ。
腹をすかせた狼の彼は、僕を見下ろして舌舐めずりをする。
薄く開いた彼の口から、赤い肉厚な舌が覗き、乾いた唇を撫でて濡れた色艶へと変えていく。
そんな野性的で艶めかしい仕草をまざまざと見せつけられて、僕の喉はひゅっと鳴り生唾を飲み込んでしまう。
「……ひぅ…………ごくり……」
肉食獣の獣人である彼に本当に食い殺されてしまうのだと戦慄し、僕は青褪めた。
「ぼ、僕なんか食べても美味しくないよ!?」
「ふふ、美味いかどうか確かめてみよう」
口角を上げて笑う彼の口から、白い牙が覗き、濡れた赤い口が近付いてくる。
「……食らいつくしてやる……」
吐息交じりに囁く、少し擦れた彼の声音に、背筋がぞくぞくと震えてしまう。
絶体絶命の危機に追い込まれ、どうしてこうなってしまったのだろうかと、僕は現実逃避して過去を回想した――が、それも一瞬の事だった。
「……フラン……」
僕の愛称を囁く彼の声に呼ばれ、現実へと引き戻される。
キラキラと輝く金色の瞳が僕を見つめ、嬉しそうに微笑んでいるのだ。
陰りのなくなった彼の笑みを見ただけで、僕の胸はきゅうんと絞めつけられ、抵抗できなくなってしまう。
悲しげだった彼が笑顔を見せてくれたのだから、その表情を曇らせたくはない。
彼の指が僕の乱れた髪を梳いて頬を撫で、色付いた唇が重ねられる。
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