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117.黒狼王子は逃がさない
「お前は俺の伴侶になると約束したからな」
僕を抱きすくめ微笑む彼が、とんでもない爆弾発言をしたのだ。
「え……えぇえっ!!?」
一瞬、何を言われたのか分からなくて、吃驚しすぎて大きな声を出してしまった。
(は、はんりょ?! 伴侶って夫婦とか婚姻した配偶者のことだよね? 僕がダークの伴侶になるってどういうこと? そんな約束をした覚えはないと思うんだけど?)
いつそんな話をしたのだろうかと、記憶をたどり思い出そうとするのだけど、思い当たる節がなくて、僕は益々混乱してしまう。
「えぇっと、その……本当に? 僕、そんな約束しちゃってたの?」
「昨晩、俺の腕の中で約束してくれただろう? 忘れてしまったと言うなら、また思い出させてやるが……」
金色の眼がギラリと光り、肉食獣が獲物を見定めて舌舐めずりをする。
僕の身体は反射的にブルルと震えてしまった。
これはきっと思い出したと言うまで放してもらえなくなるやつだ。
ごくりと生唾を飲み込んで本能的な危機感に慄いていると、彼がおもむろに上着を脱ぎだすものだから、僕は慌てて服の裾を引っ張って止める。
「いやいやいや、待って待って待って! 脱がないでぇ!? ……う、うんっ! 僕なんか思い出した気がするなぁ!!」
「そうか? 思い出したならいいんだが……」
なんとか彼の暴走を止められたのはいいものの、危機的状況は変わっていない気もする。
(昨晩の……あの時は、快楽地獄で後半は意識が朦朧として、言わられるまま頷いて返事しちゃってた気がするんだけど……彼がここまで強く言うってことは、間違いなく約束しちゃってるってことだよね……)
混乱する頭でどうにか考えをまとめていると、彼がニッコリ笑顔で追撃発言する。
「お前の了承を得れば、連れて行っていいと父王から承諾されているからな」
「っ!!?」
僕は大きく口を開けて絶句してしまう。
この僅かな時間で完全に外堀が埋められている。用意周到すぎて怖いまである。
流石は戦略にも長けた英雄と言うべきかなんと言うか、まるで逃げられる気がしない。
「で、で、で、でもっ、僕は悪役の白豚王子で、君は英雄の黒狼王子で! 僕なんて嫌われ者だし、極悪人面だし、醜い白豚野郎だし……そんな僕だから、英雄の君にはとてもじゃないけど釣り合わないと思うんだよ――」
白豚王子なんかを伴侶にしない方がいいと、僕は精一杯に訴える。
英雄の彼が白豚王子なんかと連れ添っていたら、笑い者にされてしまうかもしれない。
(彼が僕のせいで嫌な思いをするなんて絶対に嫌だ。彼の気が狂ってしまったのかと、周りから心配されるかもしれないし、もしくは、僕に何か弱みでも握られているのではと、疑われるかも……そうなったら、僕はせっかく脱却できた悪役に逆戻りしちゃう……)
彼の身を心配する気持ちは勿論大きいけど、それよりも、僕は自分の身が心配で仕方なかった。
(一時的には、彼の理想の人物像を演じることができるかもしれない。だけど、ずっと側に居てボロを出さずにいられる自信なんてない。彼の理想の人物じゃなかったと気付かれた時、期待を裏切って絶望させてしまう……それに何より、好意を寄せてくれる彼に幻滅されることが、僕は怖くて耐えられない……)
彼に考え直してもらえるよう、僕は一生懸命に説明した。
それでも、彼は僕を真っ直ぐに見つめ、揺るがない想いを告げる。
「フラン。再会して姿形が様変わりしていたが、俺は一目でお前だと分かった。逃がしてやるつもりだったのに、お前は逃げなかったんだ。また俺に口付けして、呪毒を解いてくれた。そんなことをされては、もう逃がしてなどやれない」
月を思わせる金色の目が、僕を見つめていた。
その強い眼差しには、彼の固い意志が宿っている。
「たとえお前がどこに逃げても、どんなに姿形を変えようと、どこまででも追いかけて、必ず見つけ出し捕まえる。絶対に逃がしはしない――お前は俺の伴侶だ」
こんなにも誰かに強く求められた事なんてない。
大好きな彼にそんな強く想われるなんて、怖いと思うよりも先に、嬉しいとすら思ってしまった。
そして、彼に愛される偽りの自分が羨ましいと思ってしまう。
(何も悩まずに彼の手を取ることができたら、この想いに応えることができたら、どんなに幸せなことだろう……でも、そんなことできない。彼のひたむきな想いを、踏みにじることなんてできないんだから……)
保身の為に自分を偽っている僕には、彼に愛される資格なんてないのだ。
自分の浅ましさが心底嫌になった。惨めで情けなくていたたまれなくなる。
(僕は卑怯者だ。彼がこんなにも真摯に向き合ってくれているのに……彼を騙し続けて、好かれていようだなんて思ってた。そんなこと許される筈ないのに……彼の為にも、僕は本当のことを言わなくちゃ駄目だ)
胸が痛くて苦しくて、感情がぐちゃぐちゃになって、涙が滲んできてしまう。
やはり、真実を伝えなければいけないと思うのに、言葉が詰まって上手く話せない。
「でも……でも、僕は……僕は、君に相応しくないんだ……」
「……そんなに、俺の伴侶になるのが嫌か?」
否定する事しかできない僕の言動に、彼はとても悲しそうな目をして呟いた。
狼耳を倒し、ひどく落ち込んだ表情をする彼の姿を見れば、胸が張り裂けそうなほどに痛む。
(悪いのは誤解をした彼じゃない……彼の気持ちを振り回し、深く傷付けてしまった僕が悪いんだ! 僕が逃げ回っていなければ、こんな誤解されなかったんだから。何が悪役脱却だよ、大好きな人をこんなに傷付けて、極悪非道な悪人じゃないか。……たとえ悪役でも、僕はもう逃げない!!)
僕は声を精一杯に張り上げて、彼に真実を告げる。
「違っ、違うんだ! 本当の僕は……僕は君が思ってるような高尚な人間じゃないんだ! 結果的に人を助けていたのだって、君を助けたのだって、本当は意図してやったことじゃない!! まったくの偶然で、僕にそんな能力があるなんて知らなかったんだ!!!」
感極まって溢れる涙が頬を伝い、ぼろぼろと零れ落ちていく。
「僕はただ自分の為に必死だっただけで、君からそんな風に言ってもらえる理由なんて、大切に想ってもらえる資格なんて、本当は無いんだよ…………ごめん、ごめんなさい」
僕の大声と暴露に暫し目を見開いて驚いていた彼は、戸惑いつつ手を伸ばして僕の頭に手を添え、優しく撫でる。
「フラン……フラン、泣くな……泣かなくていい」
「こんな僕で、ごめんなさい……ごめんなさい…………ぐす、ぐすっ」
優しくされると余計に苦しくなって、涙が溢れて止まらない。
僕が情けなく鼻を鳴らしていると、彼は僕をぎゅうぅと抱きすくめ、穏やかな声で問いかける。
「もしも、その能力を自覚していたとして、お前は誰にも手を指し伸べずにいられるのか?」
彼の質問の意味が分からなくて首を傾げてしまう。
鼻をすすりながら、僕は考えて素直に答える。
「ぐす……それは、よく分からない」
「貧しく飢えた子供を、病に苦しむ老人を、呪毒を身に宿した俺を、目の前にして捨て置けるか?」
「ずす……捨て置けない、と思う」
僕の返答を聞いて、彼は明るい笑顔を見せた。
それから、優しい眼差しで見つめて僕に言い聞かせる。
「自覚があろうがなかろうが、お前がすることは何も変わらない。むしろ、何の能力も無いのに誰かが危険に晒されていたら、身を呈して助けてしまうんじゃないか? その能力の悪用方だっていくらでもあるだろうが、悪用しようとも思わないだろう? お前は砂糖菓子で出来てるんじゃないかと思うほど、甘いところがある」
「う……うん、確かに」
言われてみると、確かにその通りだなと思う。
彼が僕の前世を知る筈はないのに、何故か言い当てられてしまったみたいで、本人より僕の事を理解してくれているようで、不思議な感じがする。
「今までもこれからも、お前は何も変わらない。民を救ったのも、俺を救ったのも、全てお前がしたことだ」
「そ……そんなんで、いいのかな?」
「俺がいいと言っているんだから、いいんだ」
「そっか……」
なんだか、彼に言いくるめられている気もしないでもないけど、彼がいいと言ってるのだから、きっといいのだろう。
彼は嬉しそうに微笑んで、おでこをくっつけ、鼻先を擦り合わせ、熱く告げる。
「俺はお前の頑張り屋で直向きなところも、慈悲深く情に弱いところも、愛に飢えていて詰めが甘いところも好きだ。丸々と肥えている姿も、しなやかで美しい姿も、どちらも愛らしく思う。お前の全てが愛おしいんだ。俺はフランが欲しくて堪らない」
熱烈な告白に戸惑ってしまうけど、嬉しいと思う気持ちの方が勝ってしまう。
僕は躊躇いつつも、彼に問いかけずにはいられなかった。
「僕なんかで……本当にいいの?」
「俺はお前がいい。フラン以外は要らない」
そう断言した彼は、抱きしめていた腕を一度放して居住まいを正し、僕の左手を取って手の甲に口付けする。
真剣な眼差しを僕に向け、恭しい態度で告げるのだ。
「フランボワーズ、愛している。ずっと側に居て、共に生きて欲しい。どうか、俺の生涯の伴侶になってくれ」
彼はこんな僕に愛を告げてくれた。共に生きたいと望んでくれた。
いつの間にか止まっていた涙が、また溢れてきてしまう。
でもこれは、悲しい涙ではなく、嬉し涙だ。
「……う……うん。僕も君と一緒に生きたい」
満面の笑みを向けて、僕も彼に気持ちを告げる。
「ダーク、愛してる」
彼は感激したように狼耳を立てて打ち震え、すぐに僕に抱き付いてぎゅぎゅうと身体を揺らして抱きすくめた。
想いが通じ合った僕達は見つめ合い、笑い合って、ゆっくりと目を閉じ、甘い甘い口付けを交わす。
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