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119.ジェラート国王の愛した女
――ジェラート・アイス・クリームの色褪せぬ記憶――
それは、他国からの来訪者も多く訪れる国王誕生祭の式日だった。
各国を旅する流浪の民達が王国へと訪れ、滞在を許可してやれば、その礼に舞を披露したいと一人の踊り子が姿を現した。
瞬間、大輪の花が咲き誇ったように華やいで見え、私は美しく妖艶な彼女に一目で心を奪われたのだ。
『お祝いと感謝の気持ちを込めて、ぜひ【喜びの舞】を躍らせてくださいませ』
彼女の美貌に見惚れる中、披露された舞は見た事のない即興のものだった。
その時その瞬間、静と動、陰と陽、一言に喜びと言えどもそのさまは多種多様、喜びの感情を全身全霊で表現し踊っている。
決まりなどはなく無秩序、それでいて繊細で機敏で豪快、生命力と躍動感に溢れたそれは見事な芸術。
私は自分でも信じ難い程に魅了されていた。
感動の余りに気が付けば、その場でもっと彼女の舞が見たいと、王国に長く滞在して欲しいと、頼み込んでいたのだから。
彼女は少し呆気に取られていたが、披露した舞が喜ばれて良かったと言い、屈託のない笑顔で快諾してくれた。
私の味気なく白けて色の無かった世界へ、彼女は鮮やかな色を与えてくれたのだ。
私は生まれる前から、多くのものが与えられていた。
権力者に生まれ、王になる定めと、何もかもが決まっていたのだ。
その血筋に見合うだけの能力を持ち、何事も為せば出来ない事などなかった。
取り立てて苦労する事もなければ、何かを強く望む事もないまま、ただ淡々と日々を過ごし、王としての責務を果たしていただけだったのだ。
故に、私は既に全てを手に入れていると、そう思い込んでいた。
その実、何も手に入れてなどいなかったのだと、彼女の舞を見て気付かされた。
こんなにも、心を揺さぶられるものがこの世に存在するなんて、知らなかったのだ。
私が持ち得ないものを持っている彼女に惹かれ、その心が欲しいと強く願った。
ミステリアスで美しく妖艶な容姿とは裏腹に、彼女の人格は極めて明朗快活で、地位や名声や富などには一切の頓着がない。自由気ままながら春風に舞う花びらのような、とても優しく温かい人だった。
裕福な高位貴族が彼女を愛人にしようと言い寄る姿を度々目にしたが、そっけなく躱していた。
『え、愛人になれって? はぁ……いーやっ、どんなにお金積まれたってお断りよ! わたしの愛は売り物じゃないの、お金で買えるものじゃないの!! しわくちゃのババアになっても愛し合える人じゃなきゃ、いやーよっ!』
意図せず彼女に水を浴びせてしまった青褪める清掃メイド達に彼女は言った。
『もう、やってくれるじゃないの? どうしてくれようかしら? そうねぇ……こうしてやるわ! 道連れの刑!! ……暑かったから、丁度水浴びしたかったのよ。皆で水浴びしましょう……もう、何て顔してるの! ぷっはは、あははは』
嫉妬に狂い彼女を虐げようとしていた歌姫を彼女は何故か庇い助けて言った。
『あら、どうしてって? うーん……そうね。貴女がわたしを嫌いでも、わたしは貴方のこと嫌いじゃないもの。貴女とても良い声だし、歌がとても上手だもの。わたしね、貴女の歌に合わせて踊ってみたいと思っていたの。だから、歌ってちょうだい! ね、いいでしょう?』
その類稀な美貌故に妬んだり僻んだりされる事も多々あれど、彼女はあっけらかんとしてまったく気に留める様子がなかった。
少々露出がすぎる傾向はあり、下品だ、野蛮だ、卑しいと彼女を貶し蔑む者は多かったが……。
それでも、どんなに悪しざまに言われ扱われようと、背筋を伸ばし真っ直ぐに人と向き合う姿勢は変わらない。
彼女を知れば知るほど、男女問わず魅了してしまう、余りある魅力が彼女にはあったのだ。
美しいのは妖艶な容姿だけではなく、心情までもがそれは美しく艶やかな人だった。
私の味気もない白々とした魔法でも、彼女に見せれば目を輝かせて喜び、綺麗で好きだと笑う。
『貴方の魔法は整っていて正確でとても綺麗よね。いつ見ても、惚れ惚れとしちゃう……でもね、わたしは魔法ってもっと自由でも良いと思うのよ。だからね、魔法と一緒に貴方ももっと自由にしても良いと思うわ――』
彼女の前でだけ、私は自由になれる気がした。
貼り付けた作り笑いではなく、心から笑う事ができたから。
『――だって、整っているだけじゃなくて、くしゃくしゃに表情を崩して笑う、ぶっちゃいくな貴方の顔もわたしは大好きだもの。ほら、笑って笑って……ぷくく、あはははは、ふふふ……しわくちゃのジジイになっても、大好きよ……どんな貴方でも愛しているわ』
私は彼女を何よりも愛し、彼女も私を一心に愛してくれた。
流浪の民を妃にする事は猛反対されたが、私は周囲を強引に説き伏せ、彼女を妾妃として娶った。
何よりも大切な人を愛し、また愛する人からも愛され、私はこの上なく幸福だった。
世界が色付き華やいで見え、世界中が私達を祝福してくれていると、そう思えた。
そして、そんな時が永遠に続けばいいと、私は思ってしまったのだ。
アイス・ランド王国の冬期は一際冷え込む。
気候や環境が合わない為か、寒くなるにつれて少しずつ彼女の元気がなくなり、体調を崩しがちになっていた。
彼女は大丈夫だと明るく笑って見せるが、食がどんどんと細くなり、床に臥せた彼女の姿を見れば、不安と焦燥感に駆られる。
人は脆く儚いものだ。いつ何時、命を落とすかなんて誰にも分からない。
彼女を愛するが余り、失いたくないが故に、私は手を出してはならなかった禁忌に触れてしまった。
それは、アイス・ランド王国の王にのみ代々引き継がれる、絶対の魔法――時空魔法だった。
時空魔法は、使い方次第では『不老不死』すらも可能にしてしまう、絶対的なものだ。
彼女と私の身体の時を止めれば、身体は朽ちる事なく、美しい姿のまま変わらずに存在できる。
病に苦しむ事も、老いや死に怯える事もなく、半永久的に生きられるのだ。
二人の幸せなこの時を、色褪せないままの永遠にする事ができる。
私は告げずに、彼女の身体に時空魔法をかけた。
もしも告げていれば、彼女は永遠など望まず、ありのまま共に年老いて逝きたいと言う事が分かっていたからだ。
その時の私は余りにも愚かだった――
『うぐぅ……』
――魔法をかけた途端、彼女が苦しみだし、そうなってやっと気付いた。
禁忌とされる絶対の魔法は、絶対に解く事ができない魔法だと。
いくら手を尽くしてみても、元には戻せなかった。
私は途方もなく後悔し、絶望し続けた。
彼女と私は相容れる存在ではなかったのだ。
私が凍て付き時を止めた冬ならば、彼女は目まぐるしく移り変わる四季――生命そのものだった。
時の巡りを止めた世界で四季は存在できない。彼女は存在を――生命を維持できなくなってしまったのだ。
世界から存在を拒絶された生命は次第に消耗され、やがて消滅する運命を辿る。
そう気付いた時にはもう遅すぎた。彼女の命はもう長くもたない状態だった。
私の愚かさのせいで、死に絶える苦痛を、消滅する恐怖を、彼女に与えてしまったのだ。
『私のせいだ……私が君をこんな目に合わせてしまったんだ……』
『泣かないで、ジェラート……貴方はわたしを愛してくれたんだもの。わたしはとっても幸せよ。たとえ、短い一生でも精一杯生きられたなら、それは幸福な人生だわ。何も悲しい事なんてないんだから、そんな悲しそうな顔して泣かないで……』
それでも、彼女は最期まで私を愛してくれた。
『……何とか持ち堪えられて良かった』
初めて二人が出会ったのと同じ日付。
国王誕生祭の式日まで、彼女はなんとか持ち堪えてくれた。
『ラズベリー……』
『愛しているわ、ジェラート』
『心から、愛している……』
最後の言葉とばかりに呟く彼女を、ひしと強く抱きしめた。
しかし、私の目の前で、彼女の身体が薄れ始め消失していく。
『……そんな、嫌だ! 消えないでくれ!!』
『身体が消えても、わたしの愛は消えないわ』
私を抱き返していた彼女の力がなくなり、身体が腕をすり抜けていく。
『ハッピーバースデー。わたしからのプレゼントよ』
彼女はいつものように爪先立ちで口付ける仕草をするが、感触はもう感じられない。
彼女を捕まえようとする手は空を掻いて、触れられないまま彼女は完全に消失してしまった。
『ラズベリー……ラズベリー……うっ、うああぁ……』
私はその場に崩れ落ちて、むせび泣いた。
腕の中に残ったドレスを掻き抱くと、僅かに動く温もりを感じ、彼女からのプレゼントに気付いた。
彼女が最後に私へ残してくれたのは、何よりも尊い贈物だった。
世界中の何よりも大切な、大切な私の宝物。
彼女の忘れ形見。
私と彼女の子。愛しい我が子――フランボワーズ。
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