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二十話 理想
「絵葉さん、本当にやめちゃったんですね・・・」
「そうだね、もう二週間か」
「あのぉ、絵葉さん、都様となにかあったんですか・・・?」
「うん。都に一方的に好意を寄せてたみたいでさ」
「そ、そうですか。あのっ、私、あの夜の会話はなにも覚えておりませんので!」
「フフッ、君は素直だね。お茶、ありがとう。仕事に戻ってくれ」
「はい! 失礼します!」
美雪が事務室から去っていった。
「あほくさ・・・」
メイドを増やして安定させるはずが、結局減っているじゃないか。
「で? どれがいいんだよ」
履歴書を灰皿にまとめて突っ込み、ジャスミンの前に置く。ジャスミンは濡れて光る鼻でつんつんと突くと尻尾をぶんぶんと振った。履歴書が燃えて灰になっていく。二枚、燃えずに残った。
「犬田環・・・、亀山ゆずこ・・・」
履歴書を手に持ち、鼻で深く息を吸い、目を閉じる。脳裏に光景が浮かぶ。
「・・・介護中の義母を虐待したのと、」
悲惨な光景は何度見てもいつ見ても慣れない。
「・・・結婚詐欺ね」
ジャスミンが器用にドアを開けて、事務室を出て行った。入れ替わりに直治が入ってくる。
「決まったか?」
「ん」
「淳蔵が手伝うって言ってる」
「えぇ?」
「洗濯を頼むことにした」
「そうか・・・。わかった」
「それから、」
直治は俺に手を見せた。
「うわ、がっつり噛まれたな」
「仕事に支障が出る。ハムスターはもう絞める」
「都がソーセージ食べたがってたのになぁ」
「今夜食おう。残りはジャスミンに」
「わかった」
直治は事務室を出て行った。
「うーん」
半ば諦めていた夢が現実味を帯びてきた。ワクワクしないわけがない。
「集中、集中、っと」
暫くの間、仕事に没頭する。時刻は夕暮れ。美雪が休憩を取りに来た。OKを出して、夕食までの時間の間、大学のことについて整理した。
「〇〇大学」
ずっと行きたいと思っていた大学だ。
「社会人入試・・・。十月か」
今は三月。宿泊客の予約は来年の六月まで入っている。
「予備校行きたいなー」
予備校の目星も付けてある。都が許可を出さないわけがないが、細かく相談しながら決めていこう。
『美代様ぁ、ちょっと早いけど夕食のお時間ですぅ』
ドア越しに美雪が呼んだ。
「はーい」
今日は宿泊客は居ない。食堂に行って定位置につくと、あつあつの鉄板の上に絵葉が並んでいた。
「私、ジンギスカン食べるの二回目です! 高校の修学旅行で北海道に行った時に食べたんですけど、すっごく美味しくて忘れられない味だったので、嬉しいです! お店によっては臭みが凄いって聞きますけど、これは臭みがなくて美味しいですね!」
都はにっこり微笑んだ。
「私も女学生の頃に北海道に行ったよ。小樽のガラス工房で小さなランプシェードを作ったの、楽しかったなあ」
メイド達は時折、俺達が聞き出せないような話を都から聞き出してくれる。美雪は『当たり』だ。
「小樽! 私も行きました! 私はガラスより食べ歩きに夢中でしたけど・・・」
「〇〇店のチーズケーキ、食べた?」
「はい! 美味しかったです!」
「美味しいよねー! また食べたいなあ」
「都様は甘い物がお好きなんですか?」
「あは、バレちゃった?」
じうじう、鉄板に絵葉を押し付けながら、都と美雪は談笑する。俺達は黙って聞き耳を立てる。
「お肉もお好きなんですよね?」
「バレちゃった?」
「夕食のメニューに肉料理が沢山並びますから」
「定期的にこういうのを摂らないと力が出ないのよ」
「お肉はエネルギーですね!」
「そうそう。別に食べなくても死なないんだけど、食べないと元気になれない。そんな感じね」
俺は鉄板の上の絵葉をじっと見つめた。
憎ッたらしい女。
肉を絞めた日は、その話で盛り上がる。食事を終えた後、十時まで仕事をして、都の部屋に向かった。既に淳蔵と直治がワインを開けている。
「で? どんな断末魔だった?」
俺は座り、淳蔵からワインを受け取る。直治は呆れたように肩を竦めて言った。
「『呪ってやる』だとさ」
俺と淳蔵は爆笑した。
「ソーセージのために香草漬けにしていたのに残念だ。まあ、そのおかげでジンギスカンということになったんだが」
「しかしお前が小鳥の提案をした時は血管が切れると思ったぞ。なんでよりによってあいつを?」
「都から愚痴を聞いてな。都を犯す妄想をしていたから危険だと思った。とっととこっち側に引き摺り込んで管理したほうが安全だろ?」
「成程」
かちゃかちゃ、と特有の足音がして、ジャスミンが風呂場の脱衣所からやってきた。少し遅れて風呂上がりの都がやってきた。
「ああー! 疲れたぁ」
直治の横に座り、そのまま押し倒す。直治はぽんぽんとタオル越しに都の頭を撫でた。淳蔵が物凄く悔しそうな表情をしている。
「久々に怖い思いしたわぁ。なんでついてもないチンコ突っ込もうとするのぉ・・・」
「都、口が悪いぞ」
「演技とはいえ何回かキスしちゃったし、消毒消毒ぅ」
そのまま直治にキスをし始める。
「みーやーこー! 消毒なら俺でしろ!」
淳蔵が手をぷるぷる震わせながらワイングラスをテーブルに置いた。
「あのさ、都。俺、ちょっと相談があって・・・」
「ん?」
身を起こした都が俺を見る。
「大学の話」
「どした?」
「まだまだ先の話だけどさ、その、大学に通ってる間だけ、一人暮らしできないかな・・・?」
「はぁ!?」
反応したのは淳蔵だった。
「『外』に出るのがどういう意味かわかってんのかお前!!」
「淳蔵!」
都が止める。
「あっ!」
ジャスミンが俺の横に飛び乗って座り、肩にぐりぐりと額を押し付けた。場に居る全員、都にも緊張が走る。感情が吸い取られるような感覚。俺の中からなにもかもがなくなっていく。そう感じたのは一瞬だった。とても穏やかな気持ちが満ちてきて、ジャスミンを見つめると、ジャスミンは肩から額を上げて見つめ返してきた。そして、ぺろぺろ、と俺の顔を舐めると、ソファーから降りてかちゃかちゃと足音をさせながら寝室に消えていった。
「噛み殺されるかと思った」
「俺も」
「俺も」
「・・・私も」
全員でほっと息を吐く。
「一人暮らしだったね」
「うん」
「いいよ」
「そのままずっと『外』に居てもいいぞー」
淳蔵がにやりと笑いながら言う。
「好きでするんじゃないんだぞ。考えただけでホームシックにかかってるんだからな」
「可哀想に」
「お前が居ないと寂しいよ、淳蔵・・・」
淳蔵はワインを咽た。俺は笑った。都も直治も笑った。
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