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二十四話 合格
世間一般では妊婦や出産や産まれたてのガキを尊いものとして扱っているが、俺にはさっぱり理解できなかった。やりきった表情の美雪も、美雪のガキも、なんの感情も呼び起こさない。それどころかちょっとムカつく。
「皆さん、来ていただいてありがとうございます!」
「美雪君、久しぶり」
「美代様、お久しぶりです!」
美代と直治、美雪が世間話をする。俺は早く帰りたかった。
「・・・で、名前なんですけど、『雅』にしようと思います」
「みやび」
美代が繰り返すと、美雪が笑って頷いた。
「都様にあやかろうと思いまして。『おと』がちょっと都に似ていませんか?」
「あ・・・、ああ! 成程ね! それは良い!」
「私にとって、都様は神様のような御人ですから!」
帰りの車中。後部座席で美代が肘をついて窓の外を眺めながら、心底呆れている時の声色で言う。
「雅だってよ」
「聞いた聞いた」
「なぁにが『神様のような御人ですから』だ! 都のことなにも知らないくせに!」
「美雪は三年くらいで死ぬんだろ? ガキは何年くらい世話しなくちゃなんねえんだ?」
「・・・都は『二十年くらい』だって」
「はあ!?」
直治が舌打ちする。
「それがな、こう言ってたんだ」
美代が後部座席から身を乗り出し、
「み、が、わ、り」
と言った。
「・・・俺達じゃなんともできないなにかが起こるのか?」
「かもな。俺達は死なないけど無敵ってわけではないし」
「ジャスミンの考えることはわからねぇな。時々、都を刺激するようなこともするし・・・」
「同じような毎日の繰り返しってのも、精神参るだろ」
「うーん、それもそうなんだけどなァ・・・」
館に帰ると、庭で都とジャスミンが遊んでいた。都は珍しくスポーティーな格好をしていた。
「おかえりー」
「ただいま。都、そんな服持ってたんだ?」
「この前買ったの。似合う?」
「似合う似合う。格好良い都もいいね」
「ありがとうー! で、美雪さんどうだった?」
美代が美雪の様子を説明していると、直治が敷地の入り口、閉めたはずの門扉が開いているのを見て眉を顰めた。
「おい」
「あ?」
男が居る。何故かタキシードを着てバラの花束を持っていた。
「・・・ジャスミン?」
都がジャスミンに問う。ジャスミンは都の靴の上に尻を乗せて座った。男が近寄ってくる。背の小さい浅黒い男だ。頭髪はないが眉毛が毛虫のように太く短く、幼いようで老いている。男は俺達には目もくれず、都に近付こうとする。直治が間に割って入った。
「退いてください」
「ここは私有地だ。不法侵入だぞ。今すぐ出て行け」
「いえ、俺の土地なので問題ありません」
「は?」
男はやたら大きい瞳をきらきらと輝かせ、都に向かってサムズアップをする。
「一条都さんですね? 俺は中島肇です。プロポーズ、ありがとうございます。これが、その答えです!」
花束を持ち上げ、男は笑う。都は物凄く嫌そうな顔をした。実際嫌なんだろう。俺は男の肩を掴み、直治から遠ざける。
「おい! なに言ってるのかわかんねえよ! とっとと帰れ!」
「邪魔しないでくれ! 今から説明するから!」
男は花束を振り回した。
「俺は〇〇配達の従業員だ! よくここに荷物を配達してる! 都さんはたまにしか荷物を受け取りに来てくれないけど、受け取りに来てくれた時はいつも笑って受け取ってくれる! それって、俺のことが好きだからだろ!?」
「はあ!?」
「俺達はひっそりと愛を育んできた! でも、変化が起きた! 赤ちゃん用品を大量に館に届けることになった! これって、俺の子供を産みたくなったってアピールだろ!?」
俺達は全員、呆けた。
「俺の子供、産ませてやるよ、都! 結婚したら、俺のオヤジとかあさんも館に引っ越して、子供は女の子が、」
美代が男をぶん殴った。薔薇の花束が散る。
「あ、美代がキレた」
俺が言うと、都が慌てて美代を止めようとして、それを直治が止めた。
「な、直治! 美代は大学があるから問題になるのは、」
「正当防衛」
「で、でも・・・」
ジャスミンがにんまりと笑っている。俺達の中に奇妙な感覚が流れ込んできた。それはジャスミンの言葉なのか思考そのものなのかはわからないが、ジャスミンは『外』の世界に行く美代の忠誠心を試すために、このチビハゲストーカーの侵入を許したのだ。男に馬乗りになって殴っていた美代が息を荒げながら、殴る拳を止める。男は失神していた。
「このクソ犬・・・!」
美代がジャスミンにずかずかと迫る。俺は慌てて美代を止めようと羽交い締めにした。ジャスミンは直治の後ろに隠れて、普通の犬のように怯えている、直治はジャスミンと美代の間で何度も視線を行き来させた。
「『外』の世界に行きたいだなんて、俺が馬鹿だったッ!!」
美代が声を震わせた。
「行かねーよ!! 行かなきゃいいんだろ!! お前も余計なことすんな!! 都の幸せだけ考えてろボケ!!」
ジャスミンは完全に尻尾を巻いて、ただでさえ垂れている耳を垂れ広げて悲しそうな顔をしている。違う。そういうことではない。美代が今の苦しみから解放されることが、都の幸せであるのだと。
「行かねーよ・・・」
「行きなさい」
都が言う。
「行かねえつってんだろ」
「行ってよ!」
都は珍しく、泣き始めた。
「・・・馬鹿馬鹿しい」
美代が館に入って行く。直治が携帯で警察と救急車を呼んだ。俺は都を抱いて、シャツに涙を染み込ませた。
美代はちゃんとアパートに帰っていった。
車に乗る前はふてくされていたが、都に行ってらっしゃいのキスをされると、ちゃんと唇を吸い返していた。現金なヤツ。
「・・・あのストーカーどうなった?」
美代が車窓の外を見ながら聞く。
「直治が対応してるから詳しくは知らねーけど、こっちが被害届出さないかわりにあっちも出さないってことになったらしいぞ」
「なんだそりゃ」
「お前のためだっつの。お前、殴りすぎな。あの男、顔の骨ボコボコだってよ」
「もっと殴っておけば良かったと思ってるよ」
「・・・『外』では上手くやれよ」
「我慢を覚えなくちゃな・・・」
美代は苦笑した。アパートまで送り、館に帰る。
「うおおおおー! 美代! 美代ぉ! もう会いたい! ああああー!」
都がソファーの上でのたうち回っていた。
「元気だ」
心配するな、と言外に含ませて直治が言ったので、俺は二度、深く頷いた。
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