六話 恵美

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六話 恵美

六月。百子さんが居なくなっての一ヵ月間、私は新たな仕事に悩殺されていた。というか百子さんがしていた仕事をそのまま私と恵美ちゃんで分担することになったのだが、私は相も変わらず要領が悪かった。 「あ、先輩! お疲れ様です!」 「お、お疲れ・・・」 深夜。水差しに水を汲もうとキッチンに来たら、恵美ちゃんが紅茶を飲んでいた。良い香りがする。 「たっぷり淹れたんで一緒に飲みませんか?」 「いいの?」 「いいですよ!」 「ありがとう。頂くね」 歯を磨いた後だったが、砂糖をたっぷり入れて頂いた。 「あのう、先輩。ちょっと語っていいですか?」 「うん?」 「この館に住んでる男性って、みんな素敵ですよね」 「そ、そう?」 「そうですよぉ。淳蔵様は気位の高い王子様って感じだし、美代様は中性的でとってもセクシーだし・・・」 恵美ちゃんの声が小さくなる。 「髪の長い男性って苦手だったんですけど、お二人は別です」 「気持ちはわかる・・・」 「でも一番は・・・」 ティーカップをつるつると撫でて、 「直治様かなあ・・・」 と恵美ちゃんは言った。 「ちょっとだけ伸ばしてる癖っ毛が、トレーニングの汗でしっとりしてるとことか・・・」 「・・・好きなの?」 「あはは・・・。やっぱわかります?」 「あのね、恵美ちゃん」 私は深く息を吐いて、続けた。 「私、最近、夢を見ないの」 「え・・・?」 「ここは『夢の館』でしょ? ここで眠る私達は、従業員割引きでタダで夢を見られる素敵な立場じゃない?」 「ま、まあ、そうですね」 「私、素敵な夢を見ていたんだけど、最近頻度が減ってきていて・・・」 恵美ちゃんの視線が泳ぐ。 「恵美ちゃんは夢、見た?」 「せ・・・、んぱい。あの、それってどういう意味で・・・」 「深い意味はないよぉ」 私が『いつも通り』の笑顔でそう言うと、恵美ちゃんは動揺しつつも『いつも通り』の笑顔で返してきた。その後はほんの少し雑談をした後、ご馳走になったお礼に私がポットとカップを洗って部屋に戻り、寝た。 はずだった。 やけに獣臭い。私はソファーの上で寛いでいるジャスミンだった。 「『ひねどり』は不味かったなァ」 淳蔵が言う。 「仕様がないさ。急なことだったからアク抜きもなにもできなかったからね」 美代が言う。 「・・・『ハムスター』より先に『鶏』食っちまわねえか?」 直治が言う。 「好意を寄せられるのがそんなに不快か? 俺達には珍しいことじゃないだろ」 美代が言うと、淳蔵が鼻で笑った。 「お前は慣れてるからそんなこと言えるんだろ。アレ、ウザくて仕方がないぜ」 「淳蔵の言う通りだ。俺達には必要ない。そうだろ?」 「まあ、ね・・・」 美代はくつくつと笑った。仕事の時にかける眼鏡に、薄っすらとランプの光が反射している。 「樋口恵美、西暦〇〇〇〇年〇〇月〇〇日生まれ、性別女、血液型A型。優秀な銀行員の父とアパレルショップ勤務の母、三人の兄に甘やかされた末っ子ちゃん。幼稚園から高校までなにかしらの『いじめ』のグループのリーダーで、自殺に追いやった人数が一人と、不登校に追いやった人数が七人。大学からは逆に虐められるようになって態度を改めたみたいだけど、もう遅いなあ。大罪人だね」 私は吃驚した。信じられなかった。 「赤木絵葉。西暦〇〇〇〇年〇〇月〇〇日生まれ、性別女、血液型O型。サラリーマンの父と飲食店のパートの母。自宅でハムスターを飼うことに憧れていたが許されず、ハムスターを飼っている学友達の家に行ってはハムスターを惨殺。理由は『羨ましかったから』。この事件を本人は覚えておらず、家族の間でこの話題はタブーとされ、表面上の家族中は至って良好。歪ですねぇ」 ジャスミンが喉を鳴らした。尻尾を振っている感覚がある。 「ま、絵葉は仕事が遅いというより丁寧すぎる感じだし、恵美の方かな」 「『ひねどり』はなにしたんだった?」 「お前の子供を妊娠した、本妻にバラされたくなかったら金払えって言って金持ちを脅したのさ。金を得た後はさっさと子供を堕ろしてドロンだよ。その金もあっという間に使っちゃって住み込みの仕事なんてしていたわけだが・・・」 かちゃ、と静かな音をさせて、美代は眼鏡をかけなおした。淳蔵と直治が美代を見る。 「それにしても、八月はどうすんだ? 都の誕生月だぞ」 「客の基準を緩くして賑やかな月にするのが毎年の決まりなんだろ? 人手が足りなくないか?」 「うーん・・・。今更雇えないし、俺が前に出るしかないかな」 「ご愁傷様ァ」 「・・・いや、今更お前達に期待するわけじゃないが、少しは働いて都に還元しようと思わないのか?」 「愛玩動物は働かねえよ」 「俺達は看板みたいなもんだからな」 「・・・客に無礼を働いて都の顔に泥さえ塗らなければそれでいいさ」 美代は肩を竦め、降参するように両手を上げた。 「そういえば淳蔵、お前幾つになった?」 「二十六。そう言うお前は?」 「俺は三十。直治は?」 「二十八。この会話、毎年してないか?」 「ははは、しかし、『便利な身体』だな・・・」 「中身はおっさんになっていくんだけどな」 きい、ドアの開く音がする。 『ジャスミン、そろそろねんねの時間だよ』 都の声がした。三人の息子はこぞって顔を上げ、微笑んだ。 「都様・・・」 私は確信した。 「あの人達、人間を食べてるの・・・?」 何らかの方法で選別した人間を、食べている。そして私はそれに選ばれた。記憶の向こうに放り込まれた過去の大罪によって。 でも不思議と、 逃げようという気は起きなかった。
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