act.6 拓海・伴走

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   元々の北の退院予定日は月曜日だった。  だが事情が事情だからと、病院側が5日程度だが入院期間の延長を許してくれたという。  火事で住む所を無くした北に対する配慮だが、実際の所その心配は無い。俺の家が仮の住居として名乗りを上げた。隆成おじさんも真波社長も時任さんもだ、あいつを宿無しになんて絶対させない。  北は、悠里の傍に居れる現在のこの入院の環境にとても感謝していた。普段は許されない泊まり込みの付き添いをさせて貰っている様な物だ。  もうあの事件から五日が過ぎていた。俺は今日も仕事帰りに北に会いに来ている。 「昨日悠里が俺に"お母ちゃんに会いたい"って言うんだ。もちろん声は出ないから唇を読んだんだけど」  最初、悠里が薬のせいで混乱しているのかと思ったと。まだ全身の火傷の痛みは、最初よりは少しマシな程度でずっと続いているのだろうから。 「でも言う事がちょっと具体的なんだ。"お母ちゃんおしごと?""今日もやきん?"とか。なんかまるで母ちゃんが生きてるみたいに言うんだ」 「記憶が混乱してるのか」 「多分。医者が言うには一時的なものだといいけど、最悪退行性の記憶障害かも知れないって。落ち着いたら調べてくれるそうだ」  そういう事もあるのだろう。あの火事の現場の中で、悠里が遭った絶望的な恐怖は誰にも分からない。    それから悠里の職場であるクリニックにも警察が話を聞きに行ったそうだ。  そこで事件の数日前に、悠里の身元を尋ねる不審な電話があった事が分かった。  そして見慣れない老人が待合室で何度か確認される事例もあったと。警察が防犯カメラの映像を確認したら、やはりその老人は今井健士郎だったという。  きっとその(あた)りから悠里の住む家を執拗に探し出していたのだろう。  今井夫婦の本格的な取り調べも始まってはいるが、キチガイを自称するその夫婦の言動には、当初、担当刑事達が相当に苦労をさせられたらしい。  しかしすぐにその事件の悪質性から専門の知識を持つ捜査官が配属されたので、今井夫婦程度のキチガイ論理武装もあっさり崩壊した。裁判が楽しみだとうちの親父が言っていた。   「お前の部屋はアトリエを区切ってちゃんと作ってあるからな。うちで勝手に色々準備してあるからあとは好きに使え」 「悪いな、お前にもお前の家族にも散々迷惑を掛けている」 「アホ、お互い様だろうが。頼れって言ったのを忘れたのか」 「そうだったな」  仮の住居として北が選んでくれたのは俺の家だった。自分も仕事に通い易いし悠里の病院にも近い。  何より俺がいる。  その返事を聞いて、俺と親父とじいちゃんでアトリエをビフォーアフター。元々、三つ位のスペースに分けられる仕様になっていたアトリエフロアの一番奥に、こじんまりとした北の部屋を設置した。  と、言っても元々隠し戸袋に収納されていたパネルボードを引き出して、天井のレール通りに組み立てるだけだ。  悠里が退院する頃までにはそれなりの住居を準備するつもりだけど、今はこれで十分だろう。そこにユニット畳を入れて布団や衣類ロッカー、簡単な机を組み立てて置く。  三階にはトイレも、お茶を飲めるくらいのミニキッチンもあるから生活するのには困らない。階下に行けば風呂もある。    あの誰にでも気を使う北が、それでも敢えて俺の家を仮住まいに選んでくれた事の意味を、俺の家族はみんな知っている。  せめてここが、北の心から安心出来る場所であって欲しいと思う。
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