act.6 拓海・伴走

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   そして退院の日、病室に行くと北は普段着に着替えて待っていた。    これから悠里の担当医に会ってから帰ると言うので、俺は北のたったひとつの荷物であるスポーツバッグを預かって俺の車に積み込む。これとノートPCしか荷物が無いんだよな。  その後、外来の待合室で待っていたが北は一向にやって来ない。  何あったのかと思いつつも更に待つ。多分、1時間以上待った。  そしてようやく北がやって来た。 「ごめん、待たせた」  いや、そんなのは良いけど。悠里になにかあったなら嫌だと思うだけだ。 「大丈夫だ、帰れるのか?」 「ああ頼む、車の中で話すから」  二人で俺の車に乗り込んだ。最初は着替えとか買うのにユニクロだったな。 「出雲」 「おう」 「悠里な、やっぱり退行性記憶障害だと。あいつは今、9才位の子供に戻ってる」  なんだそれは? 「それって」 「多分悠里の中で一番楽しかった時期なんだ。長い入院から家に戻れて母ちゃんもいて俺もいて、一年遅れで小学校に行き始めて慣れた頃だ。いつもいずも先生の絵本を読んで楽しそうに笑っていた」  10年以上分の記憶を失くしたってことか? 「悠里は今まで今井の息子に虐待を受けて死に掛けた頃の記憶を無くしていた。今回の火事のショックでその余計な記憶を境目にして、自分が一番幸せだと思う時期で記憶が止まってしまったと医者が言っていたよ」 「虐待の記憶の影響はどうなんだ?」  それが気になる。辛く苦しい記憶だろうと北に聞いている。 「俺が大人になっていただろう?それが悠里を救ったんだと医者が言っていた。悠里の中で自分を守ってくれる母親と、大人になった俺がいるその状態が無敵だったらしい」 「…良かった」  記憶を退行させた悠里が大人になった北を認識出来て良かった。そうじゃなかったら悠里の苦しみが繰り返されるところだった。 「ただ問題はこれからだ、火傷もそうだけど悠里はもう歩く事が出来ないかもしれない。普通の生活ができるかどうかも分からない。あいつは母親が亡くなった事も知らないから、二度も母ちゃんを失くす事になるんだ。今だって母親に会いたいってずっと泣いている、だけど…」 「……」 「それでも俺は、あいつが生きていてくれるのが嬉しいんだ。俺に出来ることはなんでもやるよ」  ああ、お前は変わっていないんだな。  初めて出逢ったあの頃と、本当に何も変わっていない。 「俺がここにいるのを忘れるなよ」  俺のその言葉に、北は小さく笑って頷いた。  必要最低限な衣類や身の回りの物を買い揃え、そのまま俺の家に帰ろうとしたら北が真波酒造に寄って欲しいという。自分の車を取ってきたいと。  勿論連れていくと、北はまず醸造所の事務所に顔を出して皆に深々と頭を下げていた。  勿論火事が北と悠里のせいじゃないのは皆が知っている。それでも頭を下げる北を見て、涙ぐんでいるおばちゃん達もいた。  それから、北と悠里の自宅だった倉庫跡に立つ。  既に火災の実況見分は終わり、倉庫と北の家だった瓦礫の山はすっかり片付けられていた。 「本当に何も無くなっちまったな」  一応聞いてはいたが、それでも自分の眼で確かめたかったんだろう。 「凄い火勢だったからな、ガソリンだったら爆発引火だから余計にだ」  その状況で悠里が助かったのは殆ど奇跡のようだと言われている。  これも北達の母親のおかげだろうか。  少しの間そこに立って、それでも北は「行くか」と、いつもの口調で俺を振り返った。
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