act.6 拓海・伴走

9/10
前へ
/65ページ
次へ
 北の気晴らしも兼ねて、俺はよく家族が寝静まった頃に酒を持って北の部屋を訪ねた。  北は悠里に夕食を食べさせながら自分も一緒に食べてくる。面会時間のギリギリまでいるので、同じ家にいながらあまり行き会う時間は無い。それはうちの家族も同じだ。  そして朝も4時には起きて静かに出勤して行く。これは休日も変わらない。今の北は仕事以外の時間は全て悠里に費やしている。  裏口の鍵を親父から貰っていて、毎朝そこからこっそりと出ていくのだが、そこには毎日小さな花束とうちのばあちゃんと母ちゃんからの朝食と昼食が入った保冷のランチボックスが置かれている。  申し訳ないからお弁当は良いですと遠慮する北だったが、結局の所うちの母ちゃん達も北達の為になにかをしたいのだ。北の体調と栄養状態を気にしているのも勿論だ。  だからそれは俺が北と話して納得させた。  ちなみに花はじいちゃんと真也だ、一緒に作っているスミレや金魚草などの悠里の好きだと言っていた草花が多い。 「にゃん太も来てたのか」  ノートPCの載ったテーブルの前に座る北の膝にはにゃん太だ。最近は北が帰宅するとどこからか現れるらしい。  きっと北を癒しに来ているんだな、大好きな悠里の膝が暫くお預けなのは寂しいだろうけど。 「悠里はどうだった?」  今日もこっそりと北の部屋で日本酒を酌み交わす。これはまだ製造本数の少ない俺たちの地産地消の日本酒"月夜美(つくよみ)"だ。これを呑みながら悠里の容態を聞く、大事な情報収集の時間だ。  最近は俺もこの時間しか北に会えていない。 「背中の火傷は大分良くなったよ、Ⅲ度以外の部分は腫れも引いた。背中のケロイドが引き攣るみたいで着替える時に大変みたいだけど我慢してる、相当痛いらしいのに偉いよ」  そうか、早くもっと楽になれば良いのに。 「昨日悠里が鏡を見て、自分の顔が怖いって言うんだ。大きい火傷があって左眼がよく開かなくて怖い顔って。火事で怪我をした事は覚えて無いから、悠里としては気がついたら大怪我をして病院にいた感じなんだろうけど…正直、参った」  女の子だから顔の傷を気にして当然だ。俺でもそれはどう答えて良いのか分からない。 「だからさ、兄ちゃんはどんな悠里も可愛いと思うけど、お前が気になるなら眼は手術をすればちゃんと開くようになるし皮膚も移殖すれば綺麗になるんだよってちゃんと伝えた。それまで顔の手術は怖がって受けるのを嫌がってたんだけど、やっと受ける気になってくれたよ」 「そうか、それは良かった」  自分の顔が怖いなんて、妹の口から聞くのは辛かっただろう。 「前にいずも先生に今の悠里は幼い子供なんだから、何かを伝える時は言葉だけじゃなく温もりも伝えるんだよ、って言われたんだ。だからちゃんと膝に乗せて抱き締めながらこの話をしたんだ」  なるほど、うちの母ちゃんの受け売りだったんだ。母ちゃんはワケありだった俺達兄弟を育てた子沢山家族の母だからな。スキンシップに並々ならぬこだわりがある人だ。 「で、久しぶりに抱っこしたら悠里が味を絞めちゃってさ、それからやたら膝に乗りたがるんだけど、実際には悠里は俺よりも結構大きいんだよね、それがさ…」( ̄▽ ̄;)  ああ、重いんだ。なるほど、その膝のにゃん太の何十倍あるのだろうか。  あったな〜大昔の拷問、膝に重い石を重ねていくやつ。気分はあれか。  そういや身長差でも5cm以上はある、体重も一時減ったけど大分戻って来たって言っていたな。 「まぁ耐えろ」  とりあえず兄ちゃんなんだから耐えろ。 「だよな」  一生懸命懐いてくる可愛い妹だ、耐えろ。  頑張れよ、兄ちゃん。 「ところでなんだ、そのカラフルなクマ」  必要最低限の家具しかない北の部屋に、不釣り合いなでっかいパステルカラーのクマとイヌが2匹。片方がグリーンで片方がピンクだ。透明なビニール袋に入って首には赤くてデカいリボンも着いている。 「仙石さんだよ、悠里にって。久しぶりに会った時に一応今の状況と記憶障害の件は話したんだ。あの人は悠里の命の恩人だからな」  ああ、その人か。真波酒造出入りのトラック運転手だったな。北がとても感謝していた。 「そしたら小学生の女の子ならこういうのが好きかなって。前にもでっかいネコのぬいぐるみをもらったんで、悠里が喜んでましたって言ったらお代わりが来たんだ。明日持っていく」 「なるほど」  優しい人だな、ちゃんとずっと悠里を気に掛けてくれている。 「仙石さんも結構酷い火傷だったんだけどなんとか良くなっていた。あの人、昔は自衛隊にいたんだって。だからあんなに小柄なのに力があるのかなって思ったよ」  自分よりも大柄な悠里を担いであの火事現場から出してくれたという。年齢は俺達より10才くらい上だとか言っていた、やっぱりすごいな元自衛官。  毎日朝早くから真面目に仕事をしている北も、倉庫で外猫の世話を楽しそうにする悠里も、弟妹のように可愛いといつも気に掛けてくれていたと言う。   「昨日から新しい倉庫の建築が始まったよ、今度は平屋のでっかいやつ」  平屋、という事は今度は社宅が無いらしい。元々大分古い建物だったもんな。それについては北は何も言わなかった。 「酒米の田植えもいつの間にか終わったし、今年は月夜美(つくよみ)のプロジェクトに全く関われなかったな。すまん出雲」 「バカ謝んな、落ち着けば戻って来れるだろ」 「ああ…そうだな」  俺達が作っている地産地消の日本酒は、ようやく地元で少しだけ名を知られるくらいにはなっていた。月夜美という名前は俺と北との自信作だ。  いずれはもっと製造数を多くして、地元の特産品としての販路を拡大するのが俺達のここしばらくの目標だったのだ。    なんにしても北がいなければこのプロジェクトには意味が無い。これは俺と北が考えたプロジェクトなんだから。    北はその為に酒造技能士の資格も取ったのだ。  俺は"月夜美"の製造を北以外に任せるつもりは無い。
/65ページ

最初のコメントを投稿しよう!

40人が本棚に入れています
本棚に追加