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風呂も終わって部屋に戻った頃に出雲がやって来た。
けど今日はちゃんと伝えたいことがあるからまず酒は無しで。俺も出雲の前に赤津医師から貰った宮城野渓大付属病院の案内を置いた。
「なんだ?」
それを手に取って出雲がペラペラと捲る、速読のようだがあれでもちゃんと頭に入ってるらしい。学生の頃に一度見た人間の顔を忘れないという出雲の特技が関係してるのだとしたら、羨ましい限りだとよく思ったな。
「精神科全般と神経科の専門病院か。随分田舎の方にあるな、やっぱりこういう診療科目は静かな所に作られるのか」
やっぱりちゃんと理解してるか、さすがだ。
「で、これがどうした?悠里に関することだろ」
「ああ、その病院に転院させようと思ってる。火傷の治療が一段落したらだけどな」
「転院…こんな田舎の病院にか?期間は?」
「分からない、だから俺も一緒に行く」
「え?」
「通える場所じゃないだろ、今みたいに毎日会える環境を変えない方が良い」
赤津先生も出来ればその方が良いと言っていた。事情が許すならと。
「仕事はどうするんだ?」
「酒造の仕事は諦めるしかないな、とりあえず向こうでなにか探すよ」
「それで良いのか」
出雲が真っ直ぐに俺を見る。俺と同じ目標に向かって一緒に歩いて来た親友だ、こいつは本当はもう分かってる。
「ああ、それで良い」
俺がどうするつもりかはもう分かっているんだ。
二人で始めた"月夜美"は、まだ発展途上だがなんとか形になって来た。
出雲がいるから、俺は安心してここを立ち去れる。"月夜美"を預けて行けるんだ。
「とりあえず悠里の左眼瞼手術が終わって回復した頃を目安には動くよ。あと二ヶ月位かな。時任さんには裁判の事もあるから今度会って直接に伝える。出雲の親父さん達にも早めに言わなきゃ、あと会社も」
最初に出雲に伝えたかったのは当たり前だから。
それまでにはやらなきゃならない事が多い。俺がやっている早朝の出荷や原料入荷の荷受、始業準備全般を誰がやってくれるのか…多分副社長の隆成さんだな。人を募集しても来ないっていつもこぼしていたから。
「俺は真波酒造が好きだったよ。会社も醸造所もここに集っている人達も。どんな大学に行くよりも素晴らしい勉強をさせてもらった。これは俺の一生物の財産だ」
本当に心からそう思っている。
「バカ、過去形にするな。お前はいつか帰ってくるんだ、それまで俺が頑張っててやるからそれを忘れるんじゃねぇぞ」
そう言って出雲は月夜美の封を切った。いつもコップの冷酒をひとつかふたつで満足してしまう俺達だが、今日はちょっとピッチが上がりそうだ。
俺は出雲が友達で良かったよ。
お前に出逢えて本当に良かったよ。
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