act.7 龍矢・希望

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  「龍矢くん、いい?」    ノックと同時にいずも先生の声だ。  もう深夜で11時近いのになんだろう。返事をするといずも先生がドアを開いた。美音さんも一緒だ。  そして大きな衣装ケースの中身を部屋の外のアトリエスペースで広げ始めた。 「え?あの」 「これね、悠里ちゃんの着替え。上から下まで、下着もしっかり揃えたからこのケースのまま向こうの病院に持って行ってちょうだい、サイズは大丈夫と思うわ」  いずも先生が言う。悠里の着替え…入院してる間は病院のレンタル品で大丈夫かと思ったが、そういや向こうの病院にもそういうシステムがあるのかを、まだ調べてもいない。そうか、普通はそういう物も要るんだな。 「本当は本人の好みとかあるだろうけど、パジャマに出来るように無地のスウェットを何枚も買ってきて私が布用の塗料で絵を描いたの。悠里ちゃんが前に好きだって言ってくれた私の作品の名場面集よ」  本当だ、向こうで役に立ちそうな衣類ばかりだ。いずも先生の絵入り半袖TシャツからロンTから、可愛い色のスウェット上下も何着もある。これは悠里が嬉しいだろう。   「全部一度洗濯して色落ちが無いのも確かめてあるからね、普通に洗っても大丈夫って事よ。いっぱい作ったから見てちょうだい、ちょっとこの辺に広げるわね」  広げたTシャツの絵柄にキリンを見つけた。これは悠里の大好きなあの絵本の… 「"うさぎの耳のキリン"だ」 「あら龍矢くん知っているの?」 「悠里が大好きですから。こっちは"ひかりのくにの天使屋さん"こっちは"トマトの森シリーズ"ですね」  早く悠里に見せてあげたい絵柄ばかりだ。きっと大喜びだろう、こんなに暖かい絵の服ばかりだから。 「そしてこっちが退院の時に着せたいお洋服よ、着やすいように前開きのファスナーやボタンが工夫されているの。これはうちの母が作ったのよ」  わざわざ薔子さんが作ってくれたのか。  パステルグリーンの可愛いデザインのその服は、きっと悠里がとても喜ぶ。あいつはその色が大好きだから。 「ありがとうございます、俺、なんてお礼を申し上げれば良いのか…あの、せめて掛かった費用だけでも…その…!」  思わず胸が詰まる、上手く声が出なくなる。 「何言ってるの龍矢くん、これは私達から悠里ちゃんへの応援(エール)よ」  応援(エール)…確かに悠里には何よりの応援だろう。記憶を失ってもしっかり覚えていた大好きないずも先生の絵本だ。 「龍矢くん、ちゃんと帰って来てね。治療が終わったら、真っ直ぐにこの家に帰って来てね。どこにも行かないでここに帰ってくるのよ」 「いずも先生」 「帰れるようになったら必ず私達に連絡をちょうだい、絶対に何とかしてあげる。龍矢くんと悠里ちゃんが帰る場所はここなんだからね、ずっと言ってるでしょ、うちのご飯を食べた子はもううちの子だって」  いずも先生…お母さん…   「先に言われたな」  いつの間にか親父さんも来ていた。親父さんは笑っている。 「うちの気難しい次男の貴重な友達だ、俺も龍矢にはとても世話になった。君は自分が帰る場所を忘れないようにしなさい」 「親父さん…はい、ありがとうございます」    俺達には帰る場所があるのだと、言葉にするだけで心が強くなる気がする。それがいい事か悪い事なのかは俺にもよく分からないけれど。 「だからこいつは俺のダチだって」  出雲が屋根裏から降りてきた。 「帰る場所を忘れたならそこまで迎えに行く。首輪を着けてでも引きずって帰ってくるわ、だから大丈夫だ母ちゃん達」  コイツが一番、俺の扱いが雑だ。的は得ているけどな。  お前となら一蓮托生も上等だ。  俺は暫くの充電期間に入るけど、その日々を無駄になんか過ごさない。  せっかく全国有数の酒処地方に行くんだ、きっちり勉強して必ずこの後に役立ててやる。  待ってろ、俺が酒造に復活するその時を。  
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