エピローグⅠ 俊輔の死んだ日 ※仁科夢香視点

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 金森さんと話して不安になった。不倫して離婚された過去を知られて責められることを恐れたからじゃない。金森さんの夢は元夫とは違う男と再婚して、子どもと元夫との関係を完全に遮断することだという。  同じことを俊輔も考えて、それを実行したらと想像して胸が苦しくなったのだ。  地方公務員で年収も七百万。バツイチでコブツキなのがマイナス要素だとしても、俊輔が婚活市場に参入すれば、生活苦のシンママたちがほっとくわけがない。たとえば、アプリや合コンで俊輔と金森さんが出会ってしまったとしたら――  恋人としては多少不満があっても、いい夫であったと思うし、父親としても申し分なかった。何より俊輔は娘たちの同居親であり、今や娘たちの心をしっかりとつかんでいる。俊輔との決別は娘たちとの決別も意味する。俊輔をほかの女に盗られるのも嫌だけど、娘たちと二度と会えなくなるなんて想像もしたくない! だからどうしても俊輔の再婚だけは阻止しなければならない。  時間は夜の六時。勤務時間は終わっているし、なぜか知らないが部活の顧問を外されたらしいから、少しくらいなら話す余裕もあるだろう。いても立ってもいられなくなって俊輔に電話した。  「夢香? どうしたの?」  「これから雪が降るって。いっしょに見たいなって思って」  あからさまにため息をつかれた。  「あなたとは離婚したばかりだけど……」  「もう一度恋人からやり直してほしいです」  「あなたは相変わらず自分のことばかりだよね――」  必死な私に冷淡な俊輔。恋人時代は逆だった。だから私はいつしか俊輔を侮るようになってしまった。  「あなたとはもう恋人になれないよ。だってこうやって電話で話してるだけでも、嫌なことばかり思い出して暗い気持ちになってしまうんだから。恋人にするならいっしょにいて明るい気持ちになれる人がいい」  「俊輔さんがこれからは明るい気持ちでいられるように精一杯努力します。もう一度だけチャンスをもらえませんか?」  「僕は学校の教員だから思うんだけどさ、不倫っていじめとよく似てる気がするんだよね。やった方はすぐに忘れるけど、やられた方は一生忘れられないところとか。あなたはどう思う?」  「俊輔さんの心に消えない傷をつけて申し訳ありませんでした。どうすれば俊輔さんの心の傷を癒やすことができますか?」  「心の傷を癒やす一番の薬はあなたのことを忘れることだよ」  身も蓋もないとはこのことだ。最後にもう少しだけ食い下がってみた。  「半年ほど前に、私たちが受けた以上の制裁を鷲本憲和に与えることができたら許してくれると俊輔さんに言われました。その約束はまだ有効ですか?」  「それか。あなたがあの男を社会的にでも物理的にでも殺してくれれば、確かに個人的にはスッとするよ。でも、あなたが刑務所に行くようなことになるのは困るんだ。だって僕の妻ではなくなっても、あなたは真希と望愛の母親なんだから。あの子たちを犯罪者の娘にするわけにはいかないんだ。だからあの男とはお金だけもらって示談した。悔しいけど仕方ない」  「そうだったんですね……」  「そういうわけだから、これからのあなたは娘たちの母親として恥ずかしくない生き方をひたすら貫いてください。慰謝料も養育費も僕のためではなく、娘たちのためだと思って払い続けてください」  「分かりました……」  「じゃあ電話切っていい? これから焼肉食べに行くことになってるんだ」  「女とですか!」  思わず大声になってしまった。俊輔の苦笑してる顔が目に浮かぶようだ。  「男三人でだよ。言っとくけど当分彼女を作る気はないから。娘たちがあなたの不倫相手に殺すぞって脅されてまだ間もないのに、これ以上あの子たちにショックを与えたくないんだよ。まさか、あなたはもう新しい彼氏ができてたりするの?」  「そんな人いません! 信じてください。離婚しても私の身も心も俊輔さんだけのものです。女の体がほしくなったらいつでも言ってください。私をどれだけ都合のいい女扱いしてもかまわないので、ほかに女を作らないでください!」  「あなたの気持ちは分かったけど――」  私が熱く語れば語るほど、俊輔の口調はますます冷淡になっていく。  「今のセリフも娘たちが聞いたら悲しむと思うよ。じゃあ――」  プツッと通話を切られた。俊輔はこれからみんなで楽しく焼肉か。私はこれからスナックでさらにバイト。今まで好き勝手やってきたツケが回ってきたのは理解してるけど、いつまでこんな先の見えない消耗するばかりの毎日を送らなければならないのだろう?
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