ある町の花屋

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それからというもの、彼はよくこのお店に来るようになった。 どうせそのうち町を離れる旅人にこれ以上花を売っても良くないので、ただ話相手になるだけだけど。 あれ以来、彼はすっかり花に興味を持ったようで、店の前や店内に置いてある花を指差しては「これは何という花か」「花言葉は何か」と訊いてくる。 本人曰く、それを知るのが妙に楽しいらしい。 ある時、彼が店の隅のほうを見て「おっ」とどこか嬉しそうな声を上げた。 「タンポポだ」 言いながら、たんぽぽの植えられた鉢に近付いていく。 大きな体を屈み込ませる彼とこじんまりしたタンポポは正直言えばミスマッチだ。 「好きなんですか?」 「ぁあ。こいつらって道端にもよくあるけど、変なところから生えてたりするだろう?そういうのを見つけると、何か応援したくなるんだよな」 「生命力が強い花ですからね。育てやすくて良いですよ。水やりもそんなにいらないぐらいですし」 「へぇ…。タンポポの花言葉は何なんだ?」 「タンポポは花と綿毛で違いますね。 花は「真心の愛」や「愛の神託」とか。「誠実」っていうのもあります」 「綿毛は?」 「「別離」ですね」 「…だいぶ意味が違うんだな。同じ花なのに」 そう言いながら、彼がタンポポの花にそっと触れた。 「綿毛が飛んで行く様子から付けられたみたいです。 でも一息で吹ききると恋が叶うなんて話もあるんですよ」 「そうなのか…」 その後しばらく無言でタンポポを見つめていた彼だったけど、不意に独り言のように呟いた。 「ここの人達はタンポポみたいで、俺は綿毛みたいだな…」 「…?」 言葉の意味が分からず、思わず首を傾げてしまう。 すると彼はフッと微笑んで語り出した。 「ちょっと変わった所にある町でも、ここに住んでる人達は力強く生きてる感じがするんだ。それが…変な場所でも強く根付いて生きているタンポポみたいだと思う。 俺は風に飛ばされるみたいに色んな所に行ってるから、綿毛みたいだなって」 彼の発言の真意を聞くと、なんとなく納得してしまった。 確かに辺鄙な所にある町だけど、みんな助け合って強く生きていると思う。 けれど彼が次に発した言葉には、僕は賛同できなかった。 「ここは良い町だよな。自然に囲まれて空気が良いし、人はみんな優しい。ここで暮らしたら幸せそうだ」 「…そうですかね」 「…君はあまり好きじゃないのか?」 僕の表情で分かったのだろう。彼はそう訊いてきた。 「…こんな何もないところで暮らすなんて…そんな良いものじゃないですよ」 僕は生まれた頃からこの町で生きてきたから、逆にここの良さがわからない。 彼みたいに色んなところへ行って、色んな景色を見る生活のほうが憧れる。 「…町から出てみたりはしないのか?」 「無理ですよ。花の世話する人がいなくなっちゃいますし。 ここは母のお店だから、僕の勝手で放置するわけにはいかないんです」 「そうか…残念だな」 「…残念?」 思わず彼の言葉を復唱する。 僕にかけた言葉ではなく、彼自身が残念だと思っているような言い方なのが不思議だった。 「君と一緒に旅ができたらいいのにと、思ったんだ」 そんなことを言われて、僕は黙り込む。 また急に何を言い出すのだろうかこの人は。 「君と一緒に色んなところを歩いて、色んな花を見つけて、その度にその花のことを教えてもらう、なんて想像をしたら、とても楽しそうだと思ってな」 「………」 彼の言葉に、僕も想像してみる。 彼の隣を歩いて、色んな場所の景色を見て…野宿をすることもあるだろうか。そうしたら星を見ながら彼と話をしたり…一緒に眠ることもあるかもしれない。 それは僕からしてみれば夢のような話だ。 一生叶うことの無い夢。 「…確かに、楽しそうですね」 言いながら、思わず苦笑が漏れてしまった。 僕はこの町から出ることは一生ない。彼の隣を歩くなんて、ありえない話だ。 こんな想像をしたって虚しくなるだけ。 妄想を振り切るように、雑草を抜く作業を始めた。 そんな僕を、彼がどこか切なげな表情で見ていたことには気付かない振りをした。
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