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30代、最初の夜。
定休日の木曜日、いつもの大衆居酒屋「豚貴族」で、親友の伊織が爆弾発言をするとは思ってもみなかった。
「結婚!?」
伊織は少し照れ臭そうにして左手に光る指輪を見せつける。
「なにそれ!彼氏いたなんて聞いてない!少なくても先月は!」
毎月、月末付近に二人で飲んでいる伊織は、高校時代からの付き合いだ。
お互い恋人がいないから、旅行やライブ、何をするのも一緒だったのに。
「それがさ、二週間前に初めて会ったら、お互い一目惚れで。意気投合して、そのまま……」
「展開早すぎるよ!」
「実は前からメッセージのやり取りはしてたんだよね。ほら、今流行りのマッチングアプリで知り合って!」
「マッチングアプリ……」
何もかもが唐突すぎて、話が頭に入っていかない。
「それ、私の誕生日に言うー!?」
「ごめんねー」
伊織は焼き豚串を頬張り笑った。
「“ほまれ”もしてみなよ。マッチングアプリ」
「マッチングアプリ……」
「結構私の周りもしてる人多いよ。最近リアルで出会い少ないじゃん」
「そうだけど…………しない。私、別に一人でもいいし」
裏切ったな、薄情者め。
そんな冗談を込めてビールを一気に呷る。
「まだ忘れらんないの?敦くんのこと」
その一言に今度はぶっとビールを噴き出した。
「ちょっと、いつの話してんの」
敦とは、私がもう何年も前に別れた元カレだ。
中学、高校、大学と一緒の言わば幼なじみのような存在で、大学を卒業と同時に交際を始めた。
……が、三ヶ月もしないで別れた。
「やっぱりまだ引きずってんじゃないの?だから彼氏も作らないで」
「違う違う。本当に、面倒だから」
敦。
なんでも話せて楽しくて、とても気が合う存在だった。
やっと長年の片思いが実って付き合えて、もしかしたらこのままゴールイン?とまで思っていた相手だけど。
『やっぱりプロを諦めらんないんだ』
フォトグラファーを志望していた彼は、そう言って遠い異国の地へ旅立ってしまった。
『待たせておくわけにはいかないから』
そんな理由で別れを切り出されたけど。
本当はわかってた。
私と付き合っても、しっくりきていなかったからだって。
「ほら、まだ引きずってんじゃん」
「うるさいよ」
確かにそれ以降、恋愛することに少し躊躇があった。
自信をなくしたというか、平凡で平穏を望むまったりした生き方の私と一緒にいても、相手につまらない思いをさせるんじゃないかって。
「そう気を張らなくてもさ、気楽に登録しちゃえばいいんだよ。私もそうだったし」
「……そう?」
伊織は私に串焼きを渡し意気込んで見上げる。
「飛び込んじゃいな!恋愛する時間はどんどん減ってくよ!?」
恋愛する時間……
「頑張れ!」
そう喝を入れられ、何も返事をすることができなかった。
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