奇岩住居

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奇岩住居

 気づけばヒラクは岩の(ほら)の中にいた。  硬い寝台の上に寝ていたので体が痛いが疲れは少し取れている気がした。  そこがどこなのかヒラクにはすぐわからなかった。  洞窟の中にしては乾燥している。  よく見ると、壁のむき出しの白い岩肌がえぐられて、棚のようなものができている。出入り口の穴の前には三段ほどの上り階段があり、壁には四角い窓穴がうがたれて朝の光が差し込もうとしていた。  道具も何もなく人が住んでいるようにも思えないが、そこが住居であったことはヒラクにもわかった。  眠っていた場所は、床からけずり出して作られた寝台だ。  ヒラクは寝台から起き上がると、出入り口の穴から身を乗り出して外を見た。  そこには信じられない光景が広がっていた。  砂漠の中にいくつもの奇岩が点在し、赤紫色に染まる朝焼けに奇妙な影を浮かび上がらせている。それはいびつな形のキノコのようにも見えるし、得体の知れない生き物の骨のようにも見える。ヒラクが今いる岩屋もその一つだ。  ヒラクは出入り口から地面に飛び降りた。ヒラクが  いた場所は外から見ると、岩屋の二階部分で、一階部分は中まで砂利が入り込み、ほとんど砂に埋もれていた。  岩の中は一定の温度に保たれていたようで、外に飛び出た瞬間、ヒラクは全身で外の冷気を感じた。  ヒラクはぶるっと身震いした。  岩屋は天にそそり立ち、二階以上の高さがある。穴が上の方までうがたれているので、さらに上にも部屋があるのがわかる。  岩屋を見上げていたヒラクは、視線を辺りに移した。  遠くに岩山が見える。岩山の向こうにアノイの地があるのだろう。山を越えるまでの道のりを思えば、ここまで来るのにさらに数週間はかかると考えてもいい。  その時、ヒラクは銀色の狼の姿を思い出した。 (あの狼が……)  子どもの頃、父を追った山越えで自分を背に乗せた狼……。  あの狼の背で感じたぶつ切れの瞬間に一気に襲われる感覚……。  ヒラクはいつかの狼が自分を目的の場所まで運んだと確信した。  狼の目的も意図もわからない。  ただそれを考えるよりまず先に、ヒラクの頭を占めるものがあった。 「ユピー、どこにいるのー?」   ヒラクは朝の寒さに震えながら、砂漠の奇岩住居の中を見て回った。  青白くかげる奇岩群は北の山をはるか後方にして南西方向にのびている。  東には砂漠が広がる。  昔、イルシカと山を越えたときには、このような奇岩住居を見たことはなかった。そのことを思い出しながら、ヒラクは自分が今いる場所が目指した方角ではないことに気づき始めていた。  ヒラクは不安な気持ちでユピを探しながら、奇岩群の中を進んだ。  歩き始めてもうすでに数時間が経過しようとしていた。  太陽が頭上から容赦なく照りつけようとしている。  ヒラクは腰に巻いた帯をほどき、小袖の暖衣を風にはためかせた。乾いた風が砂塵を運び、汗ばんだ体にはりつく。汗はすぐ乾き、喉が渇く。  砂まじりのつばを飲み込み、ヒラクはのどの渇きに耐える。  携帯している水を少しずつ口にしていたが、もう残り少ない。  山越えのときよりも体力の消耗が激しい。ヒラクはユピの身を案じた。 (ユピ、どこ?)  ヒラクは全神経を研ぎ澄ませ、ユピの存在に意識を集中する。  一瞬風がやみ、かすかな声が岩の中から聞こえたような気がしてヒラクはハッとした。  形も色も他とは何も変わりないが、ヒラクの目には一つだけちがって見える奇岩がある。 (ユピ、そこなの?)  ヒラクは奇岩の一つをめざし、出入り口から中に飛び込んだ。 「ユピ!」     岩穴の中に入り込む砂にまみれてユピが倒れていた。 「ユピ、しっかりして!」  ヒラクは駆け寄り、ユピの頬に手をあてた。 「……ヒラク?」  ユピは薄く目をあけた。 「……ここは?」 「ここは山の向こう側だよ」 「……山の、向こう側?」 「そうだよ。ほら、来てみてよ」  ヒラクはユピを抱え起こして岩屋の外に連れ出した。  ユピは呆然としながら、砂地に半ば埋もれかけた奇岩群を見渡した。 「どうしてこんなところに……」 「狼が連れてきてくれたんだよ。ユピもそうでしょう?」  ヒラクは明るく笑って言うが、どうやってここまで来たのかユピにはまるでわからない。ただいつもの闇に沈む感覚が残る。ヒラクが言う狼の姿は、まるで自分が見たかのように脳裏に焼きついている。その理由を考えようとすると、激しい頭痛に襲われる。 「ユピ、大丈夫? 顔色悪いよ」   ヒラクは心配そうにユピの顔をのぞきこんだ。 「大丈夫だよ……。それより、これからどうするの?」  ユピは不安げに尋ねるが、ヒラクに何か考えがあるわけではない。 「わかんない。とにかくユピを探さなきゃって思ってたし。でもこれだけへんな家があるんだから、一人ぐらい誰か住んでいるかもしれないよ。探してみよう」 「この岩を全部見てまわるつもり?」  ユピはあきれたように言った。 「この炎天下でむやみに動き回るなんて危険だよ。水だって残り少ないし」 「もう少し太陽が傾けば、岩陰に沿って移動できるしだいじょうぶだよ」  ヒラクは元気に言ったが、結局、その日は何もみつからず、ヒラクとユピはお互いの水を分け合い、喉の渇きに耐えながら、奇岩住居の一つで夜を明かすことにした。 「月がずいぶん欠けてるね……」  岩屋の天井近くにうがたれた小さな窓から月を見上げてユピがぽつりとつぶやいた。  アノイを出てから一週間後の満月には間に合わなかった。  ヒラクはそのことにとっくに気づいていたが、決して口には出さなかった。 「僕のせいだね」  ユピはヒラクが思ったとおり、自分を責めるように言った。 「僕が君の足手まといになったから……」 「でも、おれたち山を越えられたよ」  ヒラクは明るく笑って言った。 「次の満月まで待てばいいんだよ。月は欠けてもまた満ちるさ」 ヒラクは明るい明日を信じて疑わない。 ユピは何も言わなかったが、次の満月まで一体どう過ごせばいいのかという不安でいっぱいだった。  水は明日までもたないだろう。  ヒラクにもそのことはわかっていた。
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