狼神の使徒

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狼神の使徒

 ユピは手首を縄で縛られたまま、テラリオに連れられて狭く長い通路を歩いた。  両側に迫る壁のくぼみにはところどころにランプが置かれているが、通路全体薄暗く、天井も足元も見えない。  ユピは何度か転んでひざをついたが、そんなことはおかまいなしに、目の前を行く小男は、足音もさせずにするすると先へ進んでいく。  しばらく歩くと、(へや)につながる(あな)があった。  入り口の孔は内側から半分だけ円石にふさがれていた。  中に入るとその円石ぐらいの大きさはある巨体の男が座り込んでいた。髪もひげものび放題で口からはだらしなくよだれをたらしている。  ユピは化け物でも見るような目で男を見ると、臭気に顔をしかめた。  その室は四方の壁が円石でふさがれていて、巨体の男が一人いるだけできゅうくつに感じられる。男は獣のような独特の体臭があり、今通ってきた孔の円石がふさがれると、むせかえるような臭いがこもった。  その(へや)は「石扉(せきひ)()」と呼ばれている。  巨体の男と盲の小男は石扉番(せきひばん)と呼ばれ、その室を通る人間を選別し、円石を動かして孔の先へ通すのが仕事だ。  小男はヤモリがはりつくような格好で円石に片耳をあて、外の音を探っている。そして順番に円石の向こうを確認した後、巨体の男に耳打ちした。  巨体の男は億劫そうに立ち上がると、左側の壁の円石を動かして、向こうの通路とつながる孔に隙間を作った。 「よし、行くか」  テラリオはユピを連れて孔をくぐり石扉の間を出た。  ユピが後に続いて通路に出ると、円石は元に戻されて、背後で孔がふさがれた。  テラリオの顔に緊張が走る。  通路を進むと右側の岩壁に裂け目があり、その隙間に入り込むと、地下へと下りる細い階段があった。  テラリオはユピを先に行かせた。  灯りはなく、闇の淵に呑まれて行くような感覚で、ユピの足元がぐらつく。  何度も階段を踏み外すユピの体を後ろからテラリオが支える。  やがて行く手にうっすらと灯りが見えた。  灯りはつきあたりの室の孔から漏れてきたものだ。  その室に入る前に、テラリオは息を大きく吸い込むと、重々しい口調で言った。 「我、狼神に忠誠を誓う者なり」  それはセーカの言語だった。  やがて、その声に応える声がした。 「よく来た。同胞よ」  テラリオは、ごくりとつばを飲むと、顔をこわばらせながら、ユピを連れて中に入った。  孔の向こうは円形の室だった。  中は熱気がこもったように暑く、火がはぜる音がした。  室の中心でかがり火がたかれている。  ランプを一つずつ目の前に置いて円座した九人の男たちの影が放射状に広がり岩壁まで伸びている。  男たちは血のように赤い布で体を覆い、頭にまで巻きつけて、隙間から目だけをのぞかせている。  男たちが囲むかがり火の前には大きな丸い土器が置かれていた。  半球形の高い天井には鋭い爪と牙をむき出しにした一匹の狼が描かれている。  目と牙と爪だけが、象眼されたもののようにくっきりと浮び、獰猛な目で男たちをにらみつけている。  テラリオは男たちに近づくと、ユピの手首の縄をひき、その場に突き出した。  男たちは頭に巻きつけた赤い布の隙間から、いぶかしげにユピを見る。  ユピの格好は男たちが見たこともないものだった。丈夫そうな織りの上着は、すねの辺りまでくる長さで、紺地に赤や白の幾何学模様が入っている。模様の入った脚絆には蔓のようなひもを巻きつけて、はき物を足にあてている。それはアノイの衣服であり、神帝国の人間のものとはまるでちがう。 「その者か」  テラリオの正面に座る男が口を開いた。  その男の両側に四人ずつぐるりと座る男たちがいっせいにテラリオを見た。 「はい、ミカイロ様。この者こそ我らに与えられた神帝国の者。今こそ計画を実行に移す時です」  テラリオの言葉に男たちが反発した。 「出すぎたことを言うな、若造」 「おまえが決めることじゃない」 「異流の信徒が!」 「まあいい、黙れ」  ミカイロと呼ばれた男がその場を静めた。 「テラリオ、おまえの望みは我らの望み、狼神の意志に他ならない」  ミカイロは眼光鋭くテラリオを見た。赤い布におおわれて顔はほとんど見えないが、背筋に冷たいものが走り、テラリオの声が震える。 「はい、ミカイロ様」 「では誓え、大地の神に。狼神に与えられた血肉を再びその地に帰すと」  その言葉で、ミカイロの両隣にいた男たちが立ち上がり、テラリオの腕をひいて、土器の前にひざまずかせた。  テラリオは震える右手を器の上にかざした。  両隣の男の一人がテラリオの手のひらを上に向けさせると、もう一人がそこにナイフの先を沈め、傷をつけた。  テラリオの手のひらに赤い鮮血がにじみ出る。  ミカイロはゆっくりと立ち上がると、テラリオの前に来て、懐から取り出したものを赤い布の下から見せた。それは大人の小指の長さほどの狼の牙だった。  ミカイロは、その牙をテラリオの手のひらにつきたて、文字を刻み込むように肉をえぐり傷を広げた。  テラリオは苦痛に顔を歪める。  ミカイロは赤い布で牙に付着した血を拭った。  よく見れば、身にまとうその布にはところどころ黒い汚れがしみついている。  ミカイロは牙を懐にしまうと、両手を布の下から出し、テラリオの手を包み込むようにしてこぶしを握らせた。  そしてそのままテラリオの手の甲を横に傾けた。  テラリオのこぶしから滴り落ちる血が器の中に吸い込まれていく。  テラリオは、どくどくと血をあふれさせる脈打つ鼓動を掌中に感じていた。 「我は狼神(ろうしん)の信徒、狼神に忠誠を誓う者なり。願いはただ一つ。悪しきプレーナを滅し、狼神の大地を取り戻す……それこそ狼神の意志、我が望み! 時は来た。狼神の目覚めの時だ!」  テラリオは、自らの爪で肉をえぐるようにしてこぶしに力を込めると、痛みに耐えながら悲痛な声で叫んだ。  ユピはその光景を見ながら気が遠くなっていった。  異様な熱気と息苦しさで、呼吸が荒くなっていく。  悪夢に呑まれていくようにユピの意識が薄れていく。  気を失う直前にユピが聞いたのは誰の声だったのか。 ―時は来た……目覚めの時だ……。偽神(ぎしん)を払い、真の神となれ!
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