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「あなたはなぜ死から逃れようとするの?」
不意に案内人が私に問う。分かりきっていることだ。念願の音楽留学。その直前に暴走したセダン車によって命を落とすなんて納得できるはずがない。納得なんてできるはずがないのだ。
「ケント音楽大学に入学できるところだったのに……。そんな時にこんな仕打ち、酷過ぎるじゃない!」
死を何度も経験していくうちに希薄になっていった感情が何の前触れもなく私の奥底からふつふつと沸き上がり、私の語気を強くする。
「本当にそうかしら?」
案内人は幼い子供を落ち着かせるように淡く、優しい声色で話しかける。そのやけに穏やかな口調が私の感情を逆撫でする。私が口を開こうとした瞬間、案内人は人差し指を私の口に当てて顔を押し込む。
「あなたは死によって何かを変えたいんじゃない?」
––––ドンドンドンドン
地面を這う気味の悪い、黒い糸状の何かにノイズが迸るとゆっくりと1つの木製扉が出現する。
「扉は4度叩かれる」
案内人はそう告げると眩い光を放った後にスーッと霧散すると私は再び暗黒の空間に1人取り残された。黒いノイズが私を足下から絡めてくる。それは少しずつ上体へと向かい、私の全身に巻きついていく。まるで私を暗闇の一部とするように。
––––いつから?
そう私は今、再び肉体を手にした。あの少女の言うことが本当ならば、私はまた同じことを20回繰り返すのか。迫り来るセダン車がフラッシュバックし、私は目を伏せて気が落ちるのを感じる。すると黒いノイズは私の右手を覆ってドアノブへと導く。右手がドアノブに触れる瞬間、私は意を決して扉を直視する。
私は一体どこへ行くのか。事故を回避しようと願っても何もできなかった。横断歩道を歩行する直前を願っても叶わなかった。一体どこへ? どこへ行けば良いの?
扉が開かれると、闇が私を追い求めて顔を包んでいく。
◆
私の視線の先には窓枠という名のキャンバスの上で外の景色と共に絵画の一部となる彼。夕陽という橙色の絵の具に横顔を照らされながらスケッチブックに向かって彼は黙々と手を滑らせる。時折、周りの視線を気にしながら。教室の端にいる私の視線には気付かずに。
頰に何か温かいものが伝う。それと同時に懐かしい言葉が私の脳内を反響する。
––––続けてよ。一緒に
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