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「アメリカのニューヨークにあるケイト音楽大学にやっとの思いで行けることになったの……! 就職して3年間お金を貯めて……今年、4回目の挑戦でようやく得た全額奨学金と貯めたお金を生活費に充てて、8月に渡米して夢にまで見た音楽生活が始まる予定だったのに、それなのに……!」
過呼吸にも近い状態から紡ぐその言葉を聞くと異形の女はゆっくりと泣く女に近付いて背中をさすりながら妖しげな声色で「それで?」と続きを促す。
「はかた駅前通りの横断歩道を渡っていたら……そしたら……突然車が……」
すると女の身体はガタガタと震えだし、両手で頭を覆って小さくうずくまる。
「(あぁ……全部覚えてる)」
車が眼前に迫るその圧力と恐怖、弾かれた瞬間の鈍い痛みと身体の奥底に響くグシャッという不快な音色。宙を舞った後、地面に衝突した瞬間の2度目の激痛。
「うっ……おえぇ……」
自身の脳内になだれ込む死の瞬間の記憶。耐えきれなくなった女はその場で嘔吐し、さらに呼吸のペースが上がると苦しそうに両手を地面につく。
「汚い!」
「汚い!」
再び双子は私に罵声を浴びせ、ゴミでも見るような目で女を辱める。
「残念ねぇ……」
言葉とは裏腹に素っ気なく言い放ったその声色は悲しみにくれる女を冷たく突き放す。
すると女を見つめる無数の大きな目玉の下から扉が現れ、その向こう側からドンドンドンドン、と4つの音を1セットにしてノックする音が何度も響き渡る。ノック音は徐々に激しさを増し、暗闇を木霊してミニマル音楽のように広がっていく。
それを見た異形の女はクククと不気味に笑うとうずくまる女に向かって「ねぇ、あなた」と優しく声をかける。
「何か聴こえてこない? あなたの好きな音楽が……」
女は嗚咽交じりに顔を上げ、ところどころ顔面に模様が施されている異形の女を見てその美しい瞳に吸い込まれそうになりながら耳に意識を集中する。
「(これって)」
女の専門はジャズミュージック。しかし、彼女の中で流れ始めたこの音楽は、クラシック音楽が専門でなかろうとも、いや、音楽を専門としていなくとも誰もが耳にしたことのある音楽である。
「運命」
異形の女と同時に"運命"という単語を呟く。
––––交響曲第5番『運命』 ベートーヴェン
「ねぇ、知ってる? 冒頭の4つの音は何を示すのかという質問に対してベートーヴェンは何と答えたか」
「……」
沈黙する女に対して異形の女は嘲笑し、その答えを告げる。
「このように運命は扉を叩く」
その言葉を聞いた女は周囲に浮かぶ無数の扉を見渡す。
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