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「芝の目明し琴屋もしらねえといいますが・・どうも・・怪しい・・奴のところか、近所の長屋か裏の寺ではないかと。もう一度探ってきやしょう」
三吉が、表に出ようとしたその時。
「それには及ばねえよ。神妙にしろ。そこの大葛籠、改めさしてもらうぜ」
と琴屋の徳蔵と辰であった。
「しゃらくせい!岡っ引き、二人でやろうてのかい。よし来い」
胸倉から長ドスを引き抜くと、三吉は一気に飛び出し、徳蔵、辰との間合いを詰める。徳蔵めがけて鋭くドスを突き出す・・と・・
そこへ木陰から法円の長棒が飛び、三吉の右足膝を鋭く打つ。たたらを踏んだ三吉は簡単に捕縛される。それを見て橋本、上原も刀を構え岡っ引き二人の前に立つ。橋本は構えからも相当に腕が立ちそうだ。今度は左の木陰から、一ノ辰と三乃丞がスイーと前に出る。
「何奴だ。おぬしらは!」
叫ぶ上原。すでに刀を抜いている。
「かどかわしを、見かねた者たちさ」
と三乃丞は橋本の前に一ノ辰は上原の前に立つ。
上原が裂ぱくの気合で一ノ辰に上段から斬りかかる。スーと間合いを詰めた一ノ辰は、わずかに腰をかがめ、右に開くと、左下から右上に鋭く上原の胴を切り割る。まことに鋭い一撃であった。
上原が腹を割られても、橋本はちらと視線を寄せただけで、平静であった。ゆっくりと長刀を抜くと下段から、右八相に構え、ジリ・・ジリと三乃丞との間合いを詰める。三乃丞もわずかに右方向ゆっくり回りながら間合いを探る。しばらく両者は動かない。木の葉がハラリと廃寺の庭に舞う。
その時ーー橋本は八相から一気に右から左へ・・鋭く切り込んだと・・見たとき・・三乃丞は橋本の頭上高く飛び上がって、左手に持った寺子屋差し棒を突き出す。棒の先からは、針のように細長い仕掛けの糸刀が橋本の右目を突く。赤く染まった右目ではあったが、踏みとどまった橋本は、上段から三乃丞に再び鋭く斬りかかる。今度は、三乃丞乃の右手刀が一閃すると、橋本の左腕を二の腕から断ち切った。まことに見事な両刀使いである。
霜月十九日。芝大円寺の鐘楼からは、酉の刻を打つ鐘の音が、ゆっくりと響き渡る。庫裏に皆が集まる。
「幸いなことに・・ゆるやかだが、この娘御は思い出し始めておるよ。辰の話のように日本橋・両替商越後屋の娘、八重さんのようじゃ。名前も店も思い出しつつあるからな。もう心配はいらんだろう」
「和尚様。皆様。お助けいただき誠にありがとうござります。あれからもう四日もたつのでございますか。して、して・・女中のとよはいずこに・・・」
皆は目くばせする。三乃丞は八重の耳元で何かささやいた。一瞬目を見張って驚愕の表情の後、八重はその場に泣き崩れた。つらい瞬間であった。
「南阿弥陀仏・・南無阿弥陀・・」法円和尚の念仏。
芝の琴屋徳蔵が、
「越後屋さんも、お待ちでございますから、では、明日の昼八重さんをお送りして参りましょう。いきさつをお話ししたところ、旦那の幸之助様から和尚様他皆様にもぜひお会いしたいとのことで、是非お付き合いいただければ、わっしも助かります」
翌日、昼四ツ、八重はもうしっかりした足取りで大円寺を出て、日本橋の我が家に向かった。今日は日差しもあり、新橋、銀座界隈もにぎやかな人通りである。念のため和尚、一ノ辰、三乃丞も徳蔵と辰の後ろからゆっくり歩いて日本橋越後屋へと向かう。
日本橋本石町 越後屋の店先には、番頭数名をはじめとして、店の者たちが、ほっとした表情で八重を迎えに並んでいた。店の上り口では、越後屋幸之助とお内儀が平伏して帰りを待っていた。八重が母に向かうと、さすがにお内儀は縋りつくように娘を抱きしめる。言葉はない。ふたりはじっと抱き合ったままであった。ここ数日の心労からお内儀の髪は乱れたままであった。その様子を横から幸之助は見守る。
一行は、まず二階の大広間に案内された。すでに祝い膳と酒肴の支度が整っている。一行を上座に誘うと、平伏した幸之助から丁寧な礼が述べられた。
「皆様の、ご支援のおかげで、このように無事に娘も戻り、これ以上の感謝の言葉もございません。広い江戸市中で、難儀する娘に、温情を賜り一生涯の恩人でございます。お礼はまた改めまして、今日は、ささやかではありますが御礼の祝い膳でございます」
それからは、緩やかではあったが、仔細についての談笑と歓待が始まった。
母と供に、着替えを済ませた八重が三乃丞に酒を注ぐ。
「皆様のおかげでこうして無事に、戻ることができました。女中のとよがわたくしをかばって・・」
目には涙が浮かぶ。
「まことに・・残念なことであったな。八重さんは、とよさんの分まで、幸せに生きなければなりませんぞ」
と三之丞が励ます。
「母とも相談いたしましたが、とよを、わたくしども越後屋の墓で供養しようかと・・父も許してくれると思いますので」
それまで黙って、盃を重ねていた、大円寺の法円和尚が、
「これも・・何かの縁であろう。とよさんはわが寺で永代供養をと考えておりますがいかがですかな。もちろんとよさんの実家と相談のうえでのことじゃがな」
「和尚様。この上にまた、まことに心聞くお話でございます」
と亭主の幸之助は恐縮しながらも目礼した。
「ご亭主、それにしても、ご長男の罪は逃れられませんぞ」と和尚。
「それはもう。不憫な子ではありますが、お裁きのままに」
親としてのつらさと悔恨からか、うっすらと涙がにじむ。
その後越後屋からは、相当の供養料が大円寺に払われたことは申すまでもない。上総のとよの実家も異議はなく、こちらも相当の金子が、越後屋から、とよの両親に支払われ、八重が見舞いに出向いていた。
ここは常盤橋の将軍用人・柳沢吉保屋敷の秋の宵である。居間では下城した吉保と、三乃丞の父・菊池左衛門吉行が盃を交わしている。左衛門は先年、柳沢がなくした妾妻「秋乃」の兄であった。激務の傍らであったが、柳沢は父のような菊池と、忌憚なく酒を交わすのを何よりの楽しみとしていた。
「ところで、そちの三男三乃丞とやらは、なかなかの腕前だそうだな。この度の越後屋の件で老中筋で話題になっておってな」
「殿。まだまだの未熟者でございます。後妻の子でして。兄たちと違って、勝手気儘なところがあり、市中に出て寺子屋をやっております。堅苦しいことが大嫌いで」
と困惑の表情だ。
「ほほう、真面目なそちとはだいぶにちがうな。後妻の、みと殿の血筋かのう」
と屈託なく笑う。
「殿。して・・お裁きのほうは」
「重傷の浪人橋本の証言からな・・・妹を殺そうとした長男幸太郎、かどかわしを引き受けた、神田の香具師元締め泉屋六郎、深川の原田典膳とやらは、十日後に佃に着く伊豆七島廻船でそれぞれ、三宅、神津、八丈島に永年遠島と決まった。当分帰ってはこれまいて」
「ま、それはそれとしてすこし先になるやもしれぬが、妻の定子が大山詣りを希望しておってな・・わしが供もできまいて、若頭だけでは心配もある。警護を兼ねて、そちの息子殿に同行を頼めぬものかのう」 と吉保が菊池左衛門に酒を注ぐ。
同じ宵ここは、鍵屋長屋の煮売り屋おみよの店である。三之丞、一ノ辰、徳蔵、辰、今日はなんと・・法円和尚もいる。
「それにしても、三乃丞殿のあの左手での差し棒には驚きました。間合いといいまことに見事。次なる一手も鋭かった!」
と一ノ辰。
「いやいや、わたくしなど・・・まだまだです。一ノ辰殿の下からの胴撥ね上げ切りは、間合いの詰め方、腰の落とし方。とても及びません」
「ま ほめっこはそれぐれえにして、飲みましょうや。このイカ干し焼きも、とろろ汁も、うめええ。越後屋の膳もすばらしかったけど、やはり・・このほうが・・気楽ですね」
徳蔵の本音だ。
「徳蔵さんよ・・この酒はな・・越後屋さんからの差し入れで、越後の鶴亀だよ」
と和尚はもうほろ酔いだ。
「和尚が・・そんなに飲んじゃ・・いけませんやね・・」
店の中の笑い声に合わせて・・秋風が・・ヒューと吹く。
完
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