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【序】女衒に己を売る
「わ、私を――買ってください!」
希星は、がばりと土下座した。
細く高い鼻の先から、細い顎から、ぽたり、と水滴が落ちる。
そして、太陽の色の髪からも。
古びて傾いだ椅子に、奇矯な格好の女衒が座っている。
その向かいには、希星の従姉・月英がいた。
十三歳の少女が身に着けているのは、継ぎはぎだらけで、煤けた着物。
しかし、細い頤の、野良仕事に追われてなお白い肌と、艶やかな黒髪、長い睫に、形よい眉は輝くばかりに美しい。
女衒と、貧しく美しい娘。
言うまでもなく、買おうとする者と、買われそうになっている者だ。
「はぁ?」
女衒が、独特な形の眉を、片方だけ上げた。
「私を! 買って! ください!」
もう一度、希星は繰り返す。
「アンタ、なにを言い出すんだい! 売れもしない、嫁にもいけない仙花のくせに! 厄介者が、でしゃばるんじゃないよ!」
希星をぴしゃりと叩いたのは、月英の父が迎えた後妻・三蘭。未亡人だ。
月英の父は、希星の叔父でもあって、名は桂生。半年前に事故で死んだ。
要するに、血の繋がらない夫の遺児を売ろうとしているのが、この三蘭である。
女衒、夫の遺児、後妻の未亡人。
絶体絶命の事態を前に、二年前に叔父に引き取られた厄介者の希星は、土間で土下座をしていた。
女衒は煙管を吸って、ぷかり、と煙を吐く。
文化の粋、紅香遊郭に出入りする女衒の派手な装束は、田畑と山しかない田舎の村では異質である。
「お嬢ちゃん。悪ぃが、廓じゃ仙花の娼妓はご法度だ。御上のお達しじゃあ逆らえねぇよ。せめて髪が黒けりゃなぁ。そんなお日様みてぇな色じゃ、誤魔化しようも――おぅ、目も綺麗な色をしてやがる。こりゃどう逆立ちしても無理だ。諦めろ」
パッと顔を上げた希星を見て、女衒は首を横に振った。
そう言った女衒の髪は黒いし、月英も、三蘭も、それは同じだ。
希星の、淡い金の髪と、明るい藍の瞳は、父親譲りのものである――はずだ。
とうに海の向こうへ帰ってしまっているので、たしかめようもない。
「私を、買ってください。娼妓にせよとは申しませんから」
「じゃあ、廓の下働きでもするか? 大した金にはならねぇぞ」
――それでも構いません。
と言っては、負けだ。
二束三文で買われて、十年の年季の間は下働きの日々。
自由は少なく、身動きができなくなってしまう。
もう、間違わない。
間違えるつもりはない。
売るなら高く。
――なんとしても、高く。
「私を、清街の茶師に売ってください」
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